巨頭、頭山満は、天の理と示さるる道を真っすぐに生きた西郷隆盛を範とし、その精神を心に焼き付け、
ゆえに人を愛し、弱者に手を貸し、人としての王道を貫いた。然るにその生き方は、
必ず死にゆく人間が歩むべき真の生き方であり、しかもこの価値観が世界に広まれば、絶対に、
世界平和が実現するというものである。
今一度、考えよう。私たちはあのサムライたちの子孫であることを。
明治期以降、大正、そして昭和初期までの間、人種や民族、国境の壁を越えて徹底的に弱者を救済し、あるいは世のため人のためを働くために自己を空しくし完璧な利他、愛他の精神を貫いた人類最強の豪傑、頭山満。
その優しさは植民地化されていたアジアの人々から強く頼られ、しかしながらその厳しい武士道は米英指導者層の矜持を締め付けた。そして今、究極の優しさと強さを兼ね備えた精神の系譜は直孫の代へと受け継がれ、生きている。私は、その頭山家の本家三代目当主に長らく仕え、末席を汚しているが命を懸けて修行する、小僧である。
一真会代表 小倉真司
これから先の日本を生きるために
自分を引き上げ、精神的にも経済的にも豊かになり
おかしくなった日本を変える力にもなる
Improve one’s ability
学校でも、社会でも教えておらず、その価値観さえ気づかないような事柄
そもそも知っていた方が良いということ自体、知らなかった事柄
そして、それを知ることで人生に幅と深みが加わるような事柄を
簡単に、分かりやすく、まとめました
己が変われば取り巻くすべてが変化する。強く、深く、大きくなって、超越人群と呼ばれたかつての日本人のように充実して生きよう。真実の生き方は、時代や環境に左右されることは無い。
副業か何かで少しだけでも収入を得たりして自分で稼ぐことを覚えると、被雇用者として小さくなっていた自分のうつわを客観的に見れるようになりますよ。自由で豊かな人生を共に目指しましょう。
権力の座に長々と居座っているオジイチャン達のせいで壊滅的な打撃を受けた先端産業。特にITに関しては完全に落ちこぼれ、取り残され、今や政府の情報(データーベース)を海外(米Amazon・米Google)に任せている始末です。しかし、オジイチャン達が「インターネットわ~けしからん~」とか言っている姿を横目に危機感を募らせていた官僚や若い政治家たちは、やはりこれから先はITに強くなければヤバいことになる!という当たり前のことに気づき、対策を講じるようになってまいりました。
無論、アホを量産するための教育をいまだ誇らしげに行っている日本の学校教育に、ITを教える力(勇気)が無いのは明白ですが、開かれた学問の一端としてITの知識を学ぶことは、今後、泥沼化する日本経済の中で生き抜くためのスキルを身につけるという点で非常に有意義なことなのです。
IT。とりわけWEBの基礎を習い、実益に繋げましょう。
天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと云へり・・・
さらば天より人を生ずるには万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく~されどもいま広く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、愚かなる人あり、貧しき人あり、富めるものもあり、貴人もあり、下人もありて其(その)有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明あり。
実語教に、人学ざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり、されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由てできるものなり・・・
福沢諭吉の言葉である。
つまり、人は生まれながらにして平等であるが、生まれた境遇によって様々な人生を迎えなければならず、また、能力や才能にも差があるものである。がしかし、これは天が与えたものだから仕方がない。貧しい人、卑しい人、様々である。
この様な中で、学問の力とは、この差を平等に近づけるものなのだ、と・・・。がしかし、今の時代、トップレベルの教育を受けられるほどの人材でない限り、学問はそれほど要さないのではなかろうか・・・。もっと、世の中を渡るための知識を充実させた方が良いのではなかろうか。