中学生向けブログの主旨

プロローグ

ハーバード大学大学院にて博士号を取得し、のちアジア文化における精神鍛錬のテクニックについて学ぶべくリサーチ・フェローとしてインドとスリランカに赴いたとされるジャーナリスト、ダニエル・ゴールマン氏。彼は、ジャーナリストとして活躍しつつ多くの賞を受賞し、なおも1995年秋、彼の代表作とされるであろう一冊の本を全米に向け出版した。

EMOTIONAL INTELLIGENCE

それは60万部を超えるベストセラーにのし上がり、そして翌年、土屋京子氏の訳により日本でも出版される運びとなった。

邦題、EQ心の知能指数(講談社)

聞いた事があるでしょう。この本は、日本においてもベストセラーになっている。

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ダニエル・ゴールマンはこの本で、知能テストで測定されるIQとは質の異なる頭のよさとしてEQを挙げ、さらに人間の生涯を決定せしめるのはIQではなくEQが要因になるのだとした思弁を、大脳生理学等を暖用しつつ極めて聡明に説明し、評価を得た。

しかし、論説はEQの価値にのみ偏重し、その鍛錬方法とすれば平均的な情操教育にしか頼っていない。
ここに少しの不完全燃焼を感じるということを言いたいのだが、それをフォローするべくこの本の発行部数はそれを覆い隠している。

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私は、近古日本人に観ずる精神性やその徳性あるいは、それを価値としつつ積み重ねられたその歴史自体の重みを知っている。
ゆえにこの本を読んだときには、時間的な錯誤と言うべきか、つまり近古日本を鑑みつつこの本にそれを投影してみれば、甚だ稚拙に思えるという意味での違和感を感じたのだ。

物質偏重主義に辟易した層の手の中に開かれたからこそ、この本は、ある種の「新鮮味」を香らせたが、それは、日本人が、日本を忘れた証なのだろう。

ダニエル氏は何故インドとスリランカに赴いたのか。

帰路、日本に立ち寄り、概念(西田哲学か何かで)であろうとも本質的な日本人というものに触れていたならば、この本の趣旨も少し違ったものになったのではなかろうか。

百五十年ほど前の日本人が読み、この本が日本人に大きく支持されていると知ればどう思うだうか。
西洋科学に対して驚愕しつつ、自らの価値観がこのような表現で認識されることに驚くとは思うが、日本人が、このような書物に共感する場面を、如何にして受け入れるのだろうか。

 

私が行おうとしている活動の趣旨は、言うなればダニエル氏がのたまうところの、「学校教育の無力な部分のフォロー」として考えるものである。

ダニエル氏は心の教育を言うが、私はもう少し広義な意味での「知の魅力」や、「知の価値」というものを揚言しつつ、よってたつところの具体的な知力向上と、絶対倫理、論理的な思弁ないし哲学的洞察力の長養を望みたいと思っている。
しかも中学生を対象に。
つまり大脳生理学的に言えば、新皮質の発達に寄与するためのプログラムと思ってほしい。

それにより子どもたちは、「自分」というものを客観的に確認し、「世界(空間的な)」というものとの調和を心がけ、あるいは道徳的に、あるいは「自立した子ども」としてその知力を成熟させるに違いない。

ダニエル氏は知性の多重性を言っていた。
言語能力や計算能力、空間的な能力や音楽的な能力等、つまり子どもにはその能力において多重性があるのだと。

EQは、対人的な知性や心内知性を言うらしいが、それらを長養するためにも、基礎となる哲学的な能力を養うべきとは言えまいか。

ブログを読んで、勉強会に出席し、会員ページでさらに深める。
子どもたちの潜在的な知の扉を開き、知るべき事を正しく知らせようと、この様な志によりこの活動が始まった。

 

福沢諭吉の言葉に

天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと云へり・・・
さらば天より人を生ずるには万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく~
されどもいま広く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、愚かなる人あり、貧しき人あり、富めるものもあり、貴人もあり、下人もありて其(その)有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明あり。

実語教に、人学ざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり、されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由てできるものなり・・・

というものがある。

人は生まれながらにして平等であるが、生まれた境遇によって様々な人生を迎えなければならず、また、能力や才能にも差があるものである。がしかし、これは天が与えたものだから仕方がない。
貧しい人、卑しい人、様々である。
この様な中で、学問の力とは、この差を平等に近づけるものなのだ、と・・・。

確かに、人を幸せに近づける動力は知識である。
学問とは、広義の意味において普遍的な価値をもつからだ。

しかし、今の世において、知力を備えつつも内面的な熟度が低いがゆえに大きな失敗をする例をどれだけ見せられているか。

ということは、学業で勝負をしない場合、どうしても別の知力や人格、人に支持される何らかの力がモノをいうとは言えないか。

学業が苦手な子でも、大成した例は山ほどある。

学校や家庭では教わらないが、大切なことを教える為に、あらゆる手段を講じてみる。
考える行為を伸長させるべく、あらゆる知識を提供する。これが趣旨である。