概略2・精神主義の腐敗

腐敗に向かう日本精神

先日、テレビを見ていたら、何かの特集でデイブスペクターと奥さんが出てきた。
奥さんは、デイブスペクターに愛されすぎているために家事の一切をしないらしい。
「僕は家政婦を雇ったんじゃなくて奥さんをもらったんだから、家事なんか一切やらせないですよ~」みたいなことを言い、奥さんも、「そんな感じで愛されすぎていて困っているんです~」と、ニコニコしていた。
時に日本人でも、奥さんは家政婦じゃない、とか、奥さん自身が「私は家政婦じゃないんだから」などと言う人がいるが、この、いわゆるアメリカナイズな思考は、日本人の精神性を堕落させた原因としてわかりやすい・・・。つまり。
デイブスペクターの母国アメリカや、イギリス、フランスなどの欧米先進諸国には、数百年の年月をかけて染みついた「奴隷文化」というものが存在している(今もある)。
ひどい奴らは奴隷を人として扱わず、満足な食事も与えずにコキ使い、死ぬところを楽しんでみていたような奴らもいた。
わざと毒を飲ませて苦しむところを鑑賞したり、口を開けさせて小便を流し込んだり・・・。
有色人種の中には日本人もいた。
幕末史に名前がよく出てくるグラバーは、人買いの一味という側面も持っていた。

つまり、家事をする人間を蔑み、よって家政婦をも蔑んだデイブスペクターの発言は、その、奴隷文化を生きてきた人間の感覚から出たものなのだが、考えることに対して怠慢になった日本人は、真意を鑑みることなく言葉尻のみで自分の都合に合わせてしまうから、「奥さんは家政婦じゃない」という枝葉の言葉に感心し、日本人だからこそ思慮すべき肝心の幹の部分を忘れてしまうのだ。伝統的に日本人は、古来より奴隷を扱わなかったのだから、その感覚を対比する由もないのだが。
人を蔑むことはあっても、人に対し、人として道に外れるような扱いをすることは恥じるべきことであり、逆にそういう人間が蔑まれる、という感覚が、過去、日本社会の高度な倫理性として、ほとんどの日本人に染みついていた。
優生学的な思想が染み込んだ白人だからこそ人の地位的な優劣を気にするのだろう。それも率直な感覚として、それはそれでいいのだが、せめて、それを聞いた日本人は、大切な家族を想いつつ米をとぎ、自分を磨く思いで家を掃除し、自分の手の中で愛情を与えながら子供を育てるとしたことに「女のみに与えられた特権的な幸福」があるということを、思い出すべきではなかろうか。
アメリカにおける、奴隷や差別問題に関しては、第二次世界大戦よりも多くの死傷者を出した南北戦争を鑑みれば、アメリカ社会にとって奴隷や人種差別の問題がいかに大きいか理解できる。が、そのことよりも、一つのことに対して、精神的な見地から見るか、損得や気分を元に自我を立て、何ら思慮せずに見るかの違いにより、「自身の内面的な向上に係る度合」が変わるということは忘れないでほしい。
無常の世に内在している意味、そこから真を洞察する能力、判断力というものが、どんな学歴にも勝る「人としての能力」であるということを忘れた日本人の、精神の弛緩が止まらない。

かつて、超越人群とまで言われるほど高度な精神性をもっていた日本人は、どこへいってしまったのか。
そして、なぜ日本人は、ここまで変わってしまったのだろうか・・・。

 

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