ISMについて

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~イズム

理想主義、あるいは観念論をアイデアリズム。
支配の不在、権力の不在を意味するアナキズム。
物活論、精霊崇拝、有霊観、霊魂信仰などはアニミズム。
アリストテレス主義はアリストテレスイズム。他にも、エゴイズム、グノーシスイズム、コンヴェンショナリズム、サディズム、マゾヒズム、シャーマニズム、シンポリズム、ナショナリズム、インター・ナショナリズム、ニヒリズム等々・・・。

~イズムという言葉を思い付きで並べたが、こう見ると、一般社会で普通に暮らす我々のような庶民にはあまり関係のない言葉に思えるが、そうではない。人は、誰でも必ず何らかの「属性」をもっており、更にその属性を深めることで、どんなに平凡な人間でも必ず固有の「~イムズ」に繋がるものなのだ。イズムとは、主に、行動、状態、主義、体系、信仰、作用、学説などの主張を行う際に使われているが、それらしく用いれば使い勝手が良く、あるいは固有性を主張するにも便利な言葉なのである。

例えば、

人間なのだから人間らしさを追求し、人間性を尊重するべきとした思想に共感すれば、ヒューマニズムやファンダメンタリズムに向かっていく。

男は男らしく。女は女らしく。とした日本的な考えに価値を覚え、日本人らしく心がければナショナリズムか日本イズム。

父親は父性を強めて父親らしく。母親は母性を強めて母親らしくとし、更に父性も母性も、親としての自覚と濃度を高めることにより「らしさ」が強調されるため、どこにでもいる同じ親だけれどもその気概により一定の存在としての意義と責任を理解することになる。よってパターナリズムへと向かうこともあるだろう。

 

あるいは、例えばその「親」と言う属性ひとつをとってみても、違う角度から見れば、保護責任者、有権者、納税者、消費者、養育者、教育者、国民、子供、子孫、相続者、社会人、だれかの仲間、夫婦の片方、人的資本、社会的資本などといった立場が浮上してくる。「親」は、普遍的な存在であり、よってその影響力は、何らかのイズムを掴むことで、子供のみならず、家庭、社会、国家、そして世界や人類にまで及ぶということだ。

「親」は、これから始まる少子高齢化、格差社会、破綻する年金、見込みのない社会保障制度、デフレ、労働力のスリム化、巨大資本の流入による経済領域の縮小などなど、今まで通りに行かない世の中を、家族を背負いつつ自力で歩まなければならなくなる。よって「親」は、それぞれの立場を責任もって成立させるための知恵と情報を多く得て、自能的に優れた振舞いを行うように意識するべきであるのだが、これは、大変なことであり、更に様々なイズムを学ばなければならなくなる。

ただし、そういった気概により、人は、誰でも、死ぬまでの期間を有意義に過ごせることとなるのである。

イズムの力は巨大なのだ。

親としての能力が高まれば、福利的に社会、国家、世界が浄化され、人として住みよい世の中が出現することになる。

「親」という存在ひとつが「らしさ」をもって「主義」つまりイズムを掴めば、膨大なエネルギーが生み出されるということだ。そして、親の幸せは、そこにあるとは言えまいか。

 

ところが、現日本においては、過剰に偏った市場原理主義により価値基準の序列が狂わされ、豊かさに対する本来の意味を忘れた人が欲に狂い、既に終焉を迎えた学歴主義から離れることを恐れ、よって単一的な生き方しか想定できず、生きる道も異常に狭くなり、あるいは精神的に未熟なままでも世の中に出れるシステムゆえの未熟者が指導的な立場を担い、さらに未熟な人間を生産している。

これは明らかに日本、および日本人ISMの欠落が原因なのである。

日本は、外からは良く見えるが、内部、あるいは深部は、腐り果てている。

そして、これから時を待たずして、腐敗の広がりが我々のような下部の人々に影響を出し始めるのだ。

つらい世の中でも、ISMを堅持していれば生きていけるだろうが・・・。

 

 

ちなみに私は、親であり、社長であり、不良であり、活動家的な側面(このプロジェクトのような)をも持つ人だが、他人と違う決定的な部分を言えば、頭山立國(頭山満の直孫で頭山家本家の当主。直系三代目)という師匠の門下で修行しているという部分だろう。よって、私は、足りないながらも頭山イズムを堅持している。

 

頭山イズムとは

ウィキペディストは、すぐにウィキペディアに頼るが、頭山満翁に関しては、いまだ、「とはなにか?」という問題に対して明確な答えを持ち合わせる人がでてきていない。
せいぜい、玄洋社、大アジア主義、巨頭、右翼、右翼でも左翼でもない、ラス・ビハリ・ボース、金玉均、タゴール、孫文、蒋介石、広田弘毅、フィクサー、国家主義云々といったところか。がしかし、これらの文言は、頭山が具備するところの卓越した精神が動いた結果をただ端的に表現したにすぎず、あるいは頭山を語る座標の一部でしかない。
頭山の軌跡を縷々編纂することはできても、「頭山とは何か」、ということを言葉や文章で表現することは不可能なのだ。

また、サムライの時代に名を上げた武将を以って頭山満と同じく歴史上の偉人と語る人がいるが、思傾してみれば、それがたとえ秀吉であろうが信長であろうが家康であろうが、彼らは、時代という背景に反駁することなく、あるいはその潮流を生かしつつ世を踏み台にして功を鳴らせた、すなわち功名心の獅子となる。
頭山とは全てが違う。
頭山は、近代化、あるいは欧化の波荒れるときにあって、廃刀しつつもサムライとして地に足をつけ、己の利を捨てて国に義を尽くし、身を殺して仁を成し、日本人としての操を固くしつつも一方では文明の許すべきものを許し、東西の和合調和を頼み、古くても善きものは温め、良からぬものは潔く捨て、功を欲しがらず、狙わず、地位も名誉も求めなかった在野の獅子である。語られる戦国武将とは根本も成り立ちも全く違うのだ。

言葉の限界とでも言うべきか。現人神天皇は、神の存在を解りやすく示すべく人間の身をまとい、その御姿と御振る舞い、人並み外れた優しさと深い笑顔、愛他、利他の精神を以って国民に善き影響をお運び下さっているが、世俗に於いて神を問うならば、私程度の者でも修行を積めば解るようになってくる。頭山満は、日本人が千年以上に亘って考え、考え、考えつくしたところの答えすなわち「武士のかくあるべき姿」を近代社会で表現しつつ生ききった本物のサムライであり、あるいは霊長類としてあるべき思想、真実を自らの行動にして世に示しつつ、世間において人はどこまで大きく生きれるかという手本を、理想論としてではなく実践的に知らしめた一種の現人神なのであると。
頭山イズムは、このような考えに立って、私たち師弟の心の柱となっている。

 

プロジェクト・イズム

ISMでは、長年のあいだ頭山の側にて勉強し、修行した私が掴んだ日本の弱点、日本人の不幸の原因を、「ISMの不在」とし、その観点から、人間ISM、日本人ISM、日本国ISMを中心とした様々な「ISM」を主張、復活させるべく、多角的な方向より現代を鑑み、文章にまとめ、あるいは勉強会を開催したり、ネット上にコミュニケーションを確立したりして人々に活気を送ろうとしたものである。

正直に言って、今の日本人は、学歴があっても頭が悪く、優しくても弱く、道を外す生き方をするにしてもすぐに逃げ、多数の意見を簡単に信じ、騙されていると分かっていても恐いから騙され通すといような浅薄で細い民族に成り下がっている。

カネと高級車と高級時計が欲しくて自分を見失うか、長生きだけを望んで中身のない人生を送るか、間違いに気づいているのに自分をごまかして方向を変える勇気がない人々。

予想外のことに対応できない。

すぐに人に頼るか逃げる。

自分が正しいと思うと強くなるが、本当に正しいかが分からない。

さて、あなたが何年後に亡くなるかは分からないが、死ぬことは確かである。

絶対に死ぬのだから、すべてを捨てきって、自分自身の長養、内面の強化、動かない心の鍛錬そして真の生き方を見つけ、喜びと驚きを感じてほしいと思う。

 

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