人間ISM

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我々は本当に知的生命体なのだろうか・・・

仏教で有名な考え方に、六道輪廻というものがある。
宗派によって解釈は違うが、基本的には、現世の行いに応じて、死後か、生まれ変わったあとの世界が決められるというものである。
その世界は、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の六種があるということだが、なるほど、よくよく考えてみれば、確かに、この世界には同じ人間として生まれながらも境遇や生活環境、性質や性格に、人それぞれ明らかな違いが見て取れる。

無論、苦しい境涯に身を置いている人を見て、「行いが悪いから・・・」と決めつけることは出来ないが、しかし人の世を巨視的に観た時に感慨させられる境遇や能力の差、生まれつきの不平等を説明するにはこの仏教の知恵を借りるしか整理がつかない。

北朝鮮では、貧困に苦しむ多くの人々が、枯れた土壌から木の根を掘り出して食い、極寒のなか着衣も持てず、隙間風から身を守るために泥で風穴を埋めた家に住んでいる。
町にはスパイが多数おり、少しでも政権の批判をすれば強制収容所に送られ、リンチ、レイプを受け、犬のえさにされて死に果てる。これは地獄だが、北朝鮮のみならず、地獄のような苦しみを味わいつつ暮らす人は地球上に多数いる。

私たち日本人と同じ摂理で世の中に生まれた同じ人間でも、世の中には、生まれた瞬間から寒い思い、ひもじい思い、命の危険にさらされる人が多数いるということだ。取って付けたような話だが、客観的にみた事実である。

 

しかし、金塊や外貨を多く保有し、気候が良く、国民の徳性が極めて高いと言われる日本の相対的貧困率が世界第6位に位置していることをご存じだろうか。

ことさら日本人は、他人との比較において自分の幸不幸を感じる傾向にあるが、例えば、水道光熱費の支払いさえままならぬときや、連休なのにお金がないから子供と旅行にも行けないとき、成績が良くても学費が高いから私立学校に行かせられない事、ボロ屋敷で生活し、しかし人との付き合いは人並みにあるといった様な類の境遇に身を置かされると、ふと、たとえ土を掘り返して木の根を食うような生活でも、隣近所や殆どの国民も同じであればその方が精神的に楽な気がする、といった感情が湧いてきて当然である。

極端な貧富の差は、肉体が堪えても精神は堪えきれない。

GDP約500兆円の経済大国日本でも、境遇を相対比で見れば地獄のような思いで暮らしている人が多数いるということは、六道というものが国や地域による固有の境遇だけの話しではないということだろう。

生まれ落ちた瞬間から悲惨な環境に置かれる子は少ないにせよ、日本の内部は、着実に枯れる方向に進んでいる。日本人の心の中を鑑みれば、幸せに暮らす人の率が下がっていることは確かなのだ。

 

いくら買っても次が欲しくなり、同じ様なものでも何度も求め、満たされない苦しさに悩み悶えている人は日本でもそう珍しくない。これは餓鬼である。

性欲を抑えきれず、レイプし、冷静になった時点で捕まる恐怖が沸き起こり、殺す。これは畜生以外の何者でもない。

日本人としてあるまじき態度、方法をもって朝鮮の人を蔑む人たちが保守を気取っているが、その人たちの様に、気にくわぬことがあれば常に反発し、批判的な気持ちに支配される人は修羅の人である。修羅は、他人を攻撃している時、苦しいのは実は自分であるということに気づかない。

人は誰でも神になれる!とした神道的発想から遠ざかって久しい今、このような人々には驚かなくなった。

人間の心は、自らの思考をもって心に外圧をかけなければ能力が低下するものであるから、意識して精神を鍛え、事物を観る目を養い、真を峻別する耳を持ち、無駄な口を慎む。といった、あたりまえが、忘れ去られてしまった結果だろう。

では、六道の思想を以って神の一つ下、つまり人間とは、結局、何を条件にして成立するものなのだろうか。

 

心の中から動物性を排除する

私の師匠である頭山立國の祖父、頭山満翁は、武力に頼んで後進の国を侵略し、奴隷、資源、女性、労働力を搾取する西洋人の文化を獣(けもの)の文化と称していた。
彼らは、侵略した国において、女性を犯すこと、人を殺すこと、強奪すること、子供を殺すことを競って行なった。

日本における西洋人(ヨーロッパ)の人買い(拉致)は、豊臣秀吉の時代のキリシタン宣教の頃から始まっていた。秀吉の祐筆頭だった大村由己が書いた公文書『九州動座記』には、「後戸(五島)・平戸・長崎にて、日本人を男女を問わず数百人ずつ黒舟が買いとり、手足に鉄の鎖をつけ舟底へ入れて運び去るは、地獄の責苦にもまさって、むごい有様である」。と記されている。

徳川の時代が終わり明治期まで続くヨーロッパの帝国主義は、肌白い日本人の娘に対し秘部を丸出しにさせ鎖に繋いで弄んだ事や、便器代わりといって日本人男子に口を開けさせ小便を流し込んだ事、港に着くまで続く女子の泣き叫ぶ声などを日本人の心に強く焼き付けた。牛も食べない当時の日本人に、ヨーロッパの帝国主義によりアメリカに売り渡された数千万人の黒人や、殺戮された数百万人の原住民の話しが補足して耳に入ればそれこそ獣としか思えないに違いない。

太平洋戦争を最後まで闘いぬくと覚悟を決めた背景には、戦争で負けたら、妻子が犯され、日本人の血が絶やされると確信していたからである。

 

戦中、日本軍は、西洋列強が植民地化したアジア各国で目の当たりにしたアジア人女性の悲惨な姿を見かねて慰安所を設立した。誇り高き日本国の兵士が、間違っても、欧米の鬼畜と同じことを行なってはならないと。
それを受け慰安婦の募集が開始されたが、今問題となっている韓国の人に対しては、主に韓国人の斡旋業者が慰安婦募集に奔走した。
そうした中、慰安婦のスカウトにつけられた予算欲しさに、慰安婦を強制的に連れくることのないようにと、政府は、慰安婦の強制連行を行なわないよう指示し、公表した。戦時の混乱に負けて人の心を失わぬようにと。

 

私は、あの戦争を肯定する気も美化する気も無いが、大日本帝国軍の戦争の仕方は綺麗であったとは思っている。

戦争に綺麗も汚いもないと思うだろうが、戦時のような極限の混乱期にこそ人間は人間らしさを守るべきなのだ。

 

人間は、動物の進化系といえども他の動物にはない知恵とテクノロジーを持っている。がしかし、その知恵とテクノロジーの使い方を欲に従い誤れば、無造作に環境を破壊し、他の生命を絶滅させ、最終的に自らの居場所まで失うことになる。これは、動物というより腫瘍と呼ぶべきか。がん細胞は、増殖することにより最後には宿主の命と共に消滅するが、人間もなんら変わりがない。

頭山満翁は、人間の中にある人間的な部分を鍛え、動物的な部分を滅せば、人は神になれると言っていた。
人間らしさとは、心の中にある動物的な部分を排除した姿を言うのだと。

翁の、

「人間は魂(しいだま)を鍛えることだけを考えておればよい。それ以外は何も要らん」
という言葉は、まさしく人間ISMの提言なのである。

ISMでは、人間性、あるいは人間として、人間らしさとは・・・ということを徹底的に追求する。
本コンテンツで宣揚しつつ、日本の各地域に出向いて勉強会も開催する。
共感した方は、是非、目を離さないで欲しい。

 

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