経済主義と精神主義の相克

 

それでも、日本の歴史と共に培われ、染みついた、類まれなるサムライ精神は、文武両道にして凡人に能わず、肉体に対しその限界を軽々と超えさせた。
開国後、まるで日本の国力を試すように待ち受けていた日清戦争で清国に勝ち、有色人種を蔑むことこの上ない世界の覇者、最強国ロシアとの無謀な戦争でも勝利をつかみとった。
モンロー教書に従い孤立主義を貫いていたアメリカをよそに、大英帝国(イギリス)という、当時主流だった帝国主義国家の長と同盟を組み、強国の一員として世界情勢を動かす歯車の一部に成りあがった日本。
世界地図を広げた時、探さないと見えないくらいの島国が、その強さと、国内秩序、勤勉で賢く、正義感も強く、しかして理解しがたい思想や価値観をもって瞬時に強国と肩を並べたことは、日本、および日本人とは何か?とした興味と、次は何をやるのか、とした脅威の眼差しを世界中から集めていた。

そうした頃の1914年、オーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、陸軍の軍事演習視察のため訪れていたボスニアのサラエヴォで反オーストリア運動結社「黒い手」のセルビア人メンバーに暗殺されるとした事件が起きた。
オーストリアは即座に軍備を整え、復讐戦としてセルビアに攻め入ったが、このことが、フランスを全滅に追い込みたかったドイツ帝国や、イギリスに借りがあったイタリアなど、当時の複雑な同盟関係に刺激を与え、戦火拡大。とうとう、ドイツ帝国、オーストリア、ブルガリア、オスマン帝国など4か国の同盟国軍と、イギリス、フランス、ロシア、セルビアなど27か国による連合国軍との世界大戦にまで発展してしまったのだ。
日本は、日英同盟に基づき連合国軍として参戦。中国内にあったドイツ所有の租借権益を奪ったり、中国東北地方の隷属化を突き付けてひんしゅくを買ったりしていた。

後に第一次世界大戦と呼ばれるこの戦争において、世界の情勢は大きく変貌することとなる。
主戦場となったヨーロッパは疲弊して力がなくなり、植民地化されていた国々で独立運動が活発化。
ニコライ二世が退位しロマノフ朝が滅亡してしまったロシアでは、ソビエト政府が設立される。
ドイツでは革命が起き、皇帝が退位してしまう。
つまり勝敗に関係なくほとんどの国が打撃を受けたということだが、こと日本においては、莫大な戦争特需を受け取ったばかりか、この頃創設された国際連盟の中心的な立場をも獲得するに至ったことで、終戦直前に参戦した無傷のアメリカと共に、その後の世界のリーダー格として大いに存在感を高めていったのだ。