好景気に沸いた日本。

 

しかし、バブル期を想像しても分かるように、このころの日本では、今ほどではないが、衣服が乱れ、今ほどではないが倫理もなくなり、今ほどではないが欲望が人々を支配した。
賢い人らは、日本が失われていくことへの危機感を胸に募らせていたが、浮かれた人間が内証を悟るはずがなく、さらに人々は、新しい民主主義や自由、贅沢な暮らしに浮かれに浮かれ、憧れを持つ人は金銭のみを追いかけ、あるいは、一方では、共産主義者が白色テロを頻発させたりと、それら多様な風潮により、人々の人格は変容し、価値基準は序列を変え、国柄や思想は、果たしてサムライ国とは程遠い、無残で、曖昧なものになっていった。

この頃の日本人の様子を見て取れる話しに天譴論というものがある。
1923年9月1日に大地震(関東大震災)が関東地方を襲った時のこと、財界のリーダーだった渋沢栄一は、「大きな地震に見舞われたのは人々のだらしなさを憂えた天からの罰である」として世々の人々に警笛を鳴らしたのだ。
皇室から異例の勅がでたほど大きく乱れた日本人。
銀座の復興の中でも・・・

「ええか、羅馬(ローマ)は何故亡びた。奢侈淫卑不道徳(みだらな男女関係や度を越した贅沢のこと)の結果だ。即ち天が人間の増長慢(未熟なことを自覚せず分不相応に高ぶること。慢心)を罰したのだ。不幸にして我国の現在は羅馬の末期だ。政治家も腐敗しとる。実業家も腐っとる。あきんどは欲ばかりかわく。若い男は惰弱になり、女どもは洋妾(ラシャメン・外国人相手に身を売ったり、淫らなことをする女性―サザンオールスターズの歌にもある)の真似をして得々たるものがある。外来の悪思想にかぶれた青年は、髪を長く延ばして露西亜(ロシア)を謳歌する。亜米利加(アメリカ)の役者の真似をする。胸糞が悪くて見ていられん。強健質実の美風は地を払った。心ある者は常に憂いていたが、天も見るに見兼たとみえて、はっはっはっは、遂にやりおったよ」と語られたという。

ちなみに東日本大震災の時、当時の東京都知事だった石原慎太郎が・・・

「これはやっぱり天罰だと思う。我欲だよ。物欲、金銭欲。・・・・・・.我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要があるね。積年たまった心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」と発言し、ひんしゅくを買ったことがあった。
石原前都知事は後に発言を撤回したが、大正時代の天譴論は支持者層の方が厚かった。

当時実業之日本社社長だった増田義一は、震災を、国民に反省と改心を迫るために天が振り下ろした鉄槌だと言い・・・

「勤労をいとうて安逸をむさぼり、驕奢にながれ淫靡に陥り、自由恋愛を唱え三角恋愛をとき、いたずらに享楽主義にかたむき、カフェーは繁昌し、舞踏は流行し、惰気満々、無責任の徒多く、不正事件頻発し、賄賂公行し、じつに不真面目の状態であった」と。

※ 訳すと、「大して仕事もせずに気楽に過ごし、身の程知らずの贅沢をし、スケベなことばかりに没頭し、「不倫は文化」みたいな意味不明なことを言っては不倫のやり放題(あ、時代が違うけど)。そればかりかAVや風俗にハマり、キャバクラばっかり行って、クラブでは、若い男女がナンパしたり、されたりを楽しみ、あとは何もやる気がなく、ニートで、家がごみ屋敷になるまで掃除せず、だからといって責任を取らず、痴漢警官や盗撮教師、レイプや変態がはびこり、金でなんでもやる奴が増え、ちゃんとした奴なんかいやしない」(爆笑)

また、思想道徳の退廃から来る人間の堕落として・・・

「社会主義や危険思想が伝播せんとし、農村の赤化運動さえ見るにいたり、社会の秩序や規律をおもんぜず、わがまま勝手な思想が増長せんとした」と嘆いた。

しかし、寺田寅彦の・・・
「著しい事変のある度に、それが、人間の風儀の悪くなったための天罰だと言って、自分ひとりが道徳家ででもあるような顔をしたがる人がある。これも昔から今まで変りはない。昔のそういう人の書いたものをよく見ると、人間というものは昔から全く同じことばかり繰り返しているものだという気がする」

とした意見(事変の記憶)をみると、人間の根本的な性を想わずにいられない。
いつの時代にあっても、人間自体は、外的要因により同じように変わるのだ。