子供たちについて

3人の子供たち

2018年現在。長女は25歳。
小学校で音楽に興味を持ち始め、中学で吹奏楽部に入部。
浪人ということで私に時間があったのと、昔から私自身も音楽が好きだったこともあり、保護者会の会長やPTA役員ほか7役ほど同時に引き受けつつ、吹奏楽部の部長も兼任。
文化祭では、私の指導によりポップスをジャズテイストに編曲したものを吹奏楽で演奏。私は、エレキギターを肩から下げつつ、娘と同じ舞台で演奏するという夢のような事が実現した。

高校は、
「日本で一番強い吹奏楽部がある学校に行きたい」
と言う娘の気持ちを汲み、縁もゆかりも無い東京都市部某所へ家族で引越し。
偏差値から見て半分くらい下げての進学であったが、勉学が目的ではないので問題にならない。頑張り屋の娘は1年生からレギュラー入り。それからはアンサンブルコンテスト、全国吹奏楽コンクールなど大きな大会全てで全国勝利を勝ち取った。

3年生になったときには、高校生には難易度の高いSクラリネットをソロ演奏し、脚光を浴びる。
パートリーダーの上の上のコンサートマスターをこなし、認められて強豪大学から招待。その大学に進学。
海外遠征もよく行ったようだが、ウィーンで、世界初、オーケストラではない吹奏楽による演奏会に出場したことは身びいきしてしまうが快挙であると思っている。
大学でも、毎年レギュラー出場したコンテストで全て優勝し、今では、吹奏楽の指導者という自分の夢を叶え、いくつもの学校で厳しく指導しているらしい。

 

 

長男は、大学2年生。
プロ野球選手と多くの縁があった私だが、私自身としては何ら野球に興味が無く、「将来は息子とキャッチボールをしたい」とよく聞く親父の夢物語など一度も口にした事は無いのだが、息子が小学4年の頃、たまたま遊びでキャッチボールをしたところ
「野球をやりたい」
というので、学童チームに入団させた。

多分、日本で下から5番目くらいに弱いチームだったのだが、私も活動に協力し、同時に野球を勉強し始め、結局コーチになり、それから長く続く野球の道に息子と一緒に入っていった。

1年ほどで、娘の高校進学のため東京都市部に引越し。
楽しかった最弱チームの子供たちとお別れするのは寂しかったが、息子にしてみればステップアップの機会である。
考えもしなかった土地ゆえに右も左も分からず、どんなチームがあるのかさえ分からぬまま、勢いで、硬式野球チームに入団。
毎年のように全国大会進出の可能性を持ったその名門チームでは、練習にはついていけるものの試合にはほとんど出られず、辛酸を味わったが、一度たりとも諦めず、毎日、学校から帰ってくると私を練習に付き合わせた。
中学生になっても同じである。
平日、土日と休むまもなく練習した彼であった。

そして高校進学。
彼の実績は白紙に近いが、気持ちが折れることはなかった。
絵に描いたように、その頃から、それまで溜め込んだ養分を形にするべく萌芽を伸ばし始め、それまでは一応、西東京でベスト16に入る程度の学校だったが、入学して早々1年生の夏からベンチ入り。
2年生になると一桁の背番号を背負いつつ、いつの試合においても先発レギュラーとして水を得た魚の様にグランドを泳ぎまわっていた。

そして3年夏、彼はキャプテンとして強豪校との試合に勝ち進み、甲子園をかけた神宮大会にまで昇りつめた。

最後、彼の頭上を超える打球を、無理と分かりつつも追いかけたがグラブの遠くを通過。ベスト8で試合終了。試合後の、保護者らに向けた彼のあいさつは、悔しさなど微塵もない、やり切った男による、涼しげなものだった。

野球はもうやめよう・・・と、思っていたようだったが、無名と言えば無名だった高校が突然ベスト8までいったことで、当然のように、強い大学から引っ張られ、強豪大学へ進学。ここでも、50名以上いる同学年のスター達を尻目にひとり、1年生から公式戦に出ていたが、「チームに気持ちが入らない」とした、言うなれば、厳しい野球を耐え続けてきたことで培われた、彼の潔癖性が邪魔したか、1年の冬に突然の退部。

息子「野球やめます。色々とありがとうございました。ごめんなさい・・・」
私「なんで謝る?」
息子「いや・・・お金とか無駄にしたし・・・」
私「アホか。んなもん気にするな!そもそも払ってないわ!はっはっは~~」
息子「・・・・・」
私「で、これから何に向かう?」
息子「アメリカに留学したいです」
私「ほう・・・じゃ、がんばりや~~」

 

 

次男、高校2年生。
容姿や性格が私の生き写しのような次男坊。だが、彼は障害者だ。

右後頭葉頭頂部から側頭葉にかけて観られる脳内皮質形成異常を因子とした難治性癲癇、ADHD、後発で思春期の精神障害、手術の影響により知的障害、左側視力を失い、原因不明だが会話する能力も失った・・・・

命に関わるか、あるいは軽くても半身麻痺、運動機能障害、視覚障害、言語障害などの危険性があると言われる手術を6度も受け、結果、知力、左側の視野、話す能力などを失ったが、持ち前の、寒気を覚えるほど強い精神力と真っ直ぐな心は今も生きている。

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私は、長男が世話になった中学硬式野球のクラブチームでコーチ兼GMの役をいただき、多くの時間をよその子供たちと過ごしていたが、昨年の夏くらいで引退させていただいた。

家ではオヤジとしての役目もこなしていたつもりである。
小学生から大学生まで、まわりは子供だらけの状況が20年位続いたか。

息子の友達の中には、私と遊びたくてウチに来るような子もいたが、今はずいぶん静かになった。
息子の友達も忌憚なく私にあいさつしに来るが、昔は可愛かった奴らでも大きくなると何となく気持ち悪いので、最近はなるべく関わらないようにしている。

そんな私だが、師、頭山立國会長が言う、「親として悟った事を宣揚」するには十分な経験をしてきたと言えまいか。
長く書いたが、細事については各ページに公表する。
これもまた“縁”として、このサイトを開いた方々と共に有意義な価値を高めたいと願う。