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WELCOME TO SAMURAI-PROJECT
心を強くする価値を理解する
心の構造と働き方を解釈する
心を鍛える実践的風景
Entrance to a text
心を強くするPROJECT 中学生でもわかる!強い人間になる方法。ご家族みなさんでご覧ください。
Material of study
哲学
心を強くして夢を叶えるために哲学? って思うかもしてませんが、そりゃそうですね、でも、哲学は必要です。 哲学というと、なんだか哲学者みたいに難しく考えてしまうかもしれませんが、そもそも哲学とは、考えること、 […]
心理学
国民の自由を完全に奪って行われた戦争が終結すると、日本は、「自由」という思想を法で守るように定めたため、一部、調子に乗った日本人は、過剰な形で自由を使い、不自由な世の中を作りました。 言論の自由=あいつはトイレの後ケツを […]
科学
知性の王道、科学。 よく、科学的という言葉が使われますが、科学は、誰がやっても同じ結果で、ちゃんと証明出来て、しかも、何回やっても同じ答えが出なければならないとした、まあ、口喧嘩の最後に「じゃあ証拠を見せてみろよ?!」と […]
仏教
仏の教え。仏教。 仏というのは、死んだ人のことを言うのではありません。 釈迦族の王子様、ゴータマシッタルダという実在した人物のことを指しています。 お釈迦様と呼ばれておりますが、お釈迦様は、長い修行の末、世の中に関する様 […]
神道
サムライという名前ほど、ある国の民族の代名詞として広く世界中に知れ渡っている名称は他に無いと思います。 忍者、サムライ、ハラ切り、どれも日本固有の存在で、強いこと、並外れていること、特別だということで認識されています。 […]
儒学
東アジアの国々で知らない人はいないと言われるくらい有名な人で、孔子という人物がおりました。 中国、春秋時代の思想家で、弟子との会話が論語として残されていますが、儒学は、孔子を祖とする儒教という信仰体系の中の学問的な要素を […]
Please participate in a study meeting.
全国の都道府県でミーティングを開催します。質問や相談も受け付けますのでご利用ください。
The material of the story
私のこと
素浪人という、大人の立場としては今の世に通用しない、あたかも江戸時代の、扶持を失った侍のような生き方をし始めてから20年以上経過した。 中学生の頃から地元では有名な不良を気取り、当時の高校進学率を思えばあり得ない様な理由 […]
妻
横浜の不良は、おおかた、若いころに出来た彼女とそのまま付き合って、早い結婚をする。今は知らんが。 よって、20歳~25歳くらいの間に、ほとんどの友人が結婚したが、私の場合は、中学3年生の時に某駅近辺で見かけた今の妻と18 […]
長女
2018年現在。長女は25歳。 小学校で音楽に興味を持ち始め、中学で吹奏楽部に入部。 浪人ということで私に時間があったのと、昔から私自身も音楽が好きだったこともあり、保護者会の会長やPTA役員ほか7役ほど同時に引き受けつ […]
長男
長男は、大学2年生。 プロ野球選手と多くの縁があった私だが、私自身としては何ら野球に興味が無く、「将来は息子とキャッチボールをしたい」とよく聞く親父の夢物語など一度も口にした事は無いのだが、息子が小学4年の頃、たまたま遊 […]
次男
次男、高校2年生。 容姿や性格が私の生き写しのような次男坊。だが、彼は障害者だ。 右後頭葉頭頂部から側頭葉にかけて観られる脳内皮質形成異常を因子とした難治性癲癇、ADHD、後発で思春期の精神障害、手術の影響 […]
ペット(犬)
中学1年生くらいから少々グレ始めた私だが、学校に行かない時はいつも犬の散歩をしていた記憶がある。 「なんで学校来ないの?」 「いや、犬の散歩が忙しくて・・・」みたいに。 5歳くらいの頃、父が、団地なのに白い […]
Welcome. To our team
頭山満
頭山満翁に関しては、翁の現役時代である明治の頃より今までずっと多くの人に語られつつも、いまだかつて、「頭山とはなにか?」という問題に対して明確な答えを打ち出せた人はいない。
せいぜい、玄洋社、大アジア主義、巨頭、右翼、右翼でも左翼でもない、ラス・ビハリ・ボース、金玉均、タゴール、孫文、蒋介石、広田弘毅、フィクサー、国家主義云々といったところか。がしかし、これらの文言は、頭山が具備するところの卓越した精神が動いた結果をただ端的に表現したにすぎず、あるいは頭山を語る座標の一部でしかない。
頭山の軌跡を縷々編纂することはできても、「頭山とは何か」、ということを言葉や文章で表現することは不可能なのだ。
また、サムライの時代に名を上げた武将を以って頭山満と同じく歴史上の偉人と語る人がいるが、思傾してみれば、それがたとえ秀吉であろうが信長であろうが家康であろうが、彼らは、時代という背景に反駁することなく、あるいはその潮流を生かしつつ世を踏み台にして功を鳴らせた、すなわち功名心の獅子となる。
頭山とは全てが違う。
頭山は、近代化、あるいは欧化の波荒れるときにあって、廃刀しつつもサムライとして地に足をつけ、己の利を捨てて国に義を尽くし、身を殺して仁を成し、日本人としての操を固くしつつも一方では文明の許すべきものを許し、東西の和合調和を頼み、古くても善きものは温め、良からぬものは潔く捨て、功を欲しがらず、狙わず、地位も名誉も求めなかった在野の獅子である。語られる戦国武将とは根本も成り立ちも全く違うのだ。
言葉の限界とでも言うべきか。現人神天皇は、神の存在を解りやすく示すべく人間の身をまとい、その御姿と御振る舞い、人並み外れた優しさと深い笑顔、愛他、利他の精神を以って国民に善き影響をお運び下さっているが、世俗に於いて神を問うならば、私程度の者でも修行を積めば解るようになってくる。頭山満は、日本人が千年以上に亘って考え、考え、考えつくしたところの答えすなわち「武士のかくあるべき姿」を近代社会で表現しつつ生ききった、本物のサムライなのであり、あるいは霊長類としてあるべき思想、真実を自らの行動にして世に示しつつ、世間において人はどこまで大きく生きれるかという手本を、理想論としてではなく実践的に知らしめた一種の現人神なのであると。
頭山翁は、このような考えに立つ私たち師弟の心の柱となっている。