自分の運命に勝つ。

 

 

ご飯をいっぱい食べたからといって、だれでも横綱になれるわけではない。

勉強を死ぬほどしたからといって、だれでも東大にはいれるわけでもない。

1日10時間ギターの練習をしたからといって、だれでもプロになれるわけではない。つまり、人間には生まれつき決まっている特性というものがあるので、ある程度のところまでいった後は、その範囲内でできることをするしかないということだ。それを運命と言う。

なので君たちには、ある面では自分より上がいるし、ある面では下がいる。どんなに頑張ってもだ。とした中で、自分の優れている部分をよく知り、その上で将来のことや普段の色々な問題を考えていかなければならない、となる。これは不平等に思えるが、神か天が決めたことだから仕方がない。

でも、この生まれつきの差というものを限りなく平等に近づける方法もあるのです。

それは「努力」。

努力は、生まれつきの差を近づけるためのたった一つの手段なんだ。

 


じゃあ、努力をすれば何にでもなれるってこと・・・?

いや、そうじゃないよ。

与えられた場面、環境で、最大限の努力をすれば、自分で決めたわけじゃなくても次のステップに行けるようになる、ということだ。ステップというのは、環境や境遇、あるいはそれまで苦痛だったことが無くなるとか、問題が解決するとかいった意味で、簡単に言えば、人間として出世すれば、境遇や周囲の事柄が変化するって感じかな。

しかしそこでは新しい課題が待っていて、また頑張る。と、その繰り返しをすることで、当初は考えていなかった、あるいは考えもつかなかったような、良いもの、良い環境、良い生活などが手に入るのです。

 


 

君たちが歳をとれば良く分かるようになると思うけど、人は、何才かの時点で内面的な成長が止まります。

大人になったとき、それまでの自分の頑張りぶりにもよるけれども、例えば何十年ぶりかで昔の友達にあったとすると、人によって、変わった人や変わってない人、つまり他人の内面的な成長というものが良く分かるようになるのです。

もちろん、誰もが普通に社会生活を送っているわけなので、それなりの状況に合った感じの「変化」はあるけれど、「人の本質」というものの「レベル」は、生き方によって成長したり止まったりするものなのです。ただし、それが分かるには、自分自身がちゃんと成長していなければならないけれど。

つまり、誰でも、その時々で与えられた状況の中で頑張れば、それが何であれ、必ず、常に、自分にとって最も良い条件の中で生きることが出来るということだ。不平等に思える人生の仕組みを超える、平等性があるということです。

まずは、今の環境や状況をよく見つめ、先はどうであれ、結果がどうであれ、どこまで努力できるのか、頑張ってみてほしい。

そして大事なことは、苦しみが無ければ人は成長しないということです。

わざと苦しい方を選んで、挑戦するのも面白い。なにせ、人間は誰でもいつかは死ぬし、死んだら終わりなんだから。