サムライという名前ほど、ある国の民族の代名詞として広く世界中に知れ渡っている名称は他に無いと思います。

忍者、サムライ、ハラ切り、どれも日本固有の存在で、強いこと、並外れていること、特別だということで認識されています。

超越人群。とも呼ばれておりましたが、ではその日本人の精神を作り上げた元となる知識、学問、あるいは教科書は何だったのでしょう。それは、神儒仏。すなわち神道(しんとう)、儒学(じゅがく)、仏教(ぶっきょう)です。

 

このプログラムでは、お気づきのように、神儒仏の三大知性を、現代っ子の君達でも分かりやすいように説き、君たちの心の強化、夢を実現するために必要な哲学的素養を図ろうとしております。

 

その中の、この、神道とは何でしょう。

 

 

今現在、日本国内には、世界中の宗教が混在しております。

世界で問題になっているイスラム教、世界で一番大きな宗教であるキリスト教、なじみの仏教、ユダヤ教徒もいますでしょう。そして、これらの宗教を信仰している人々は、世界情勢とは違って、対立も、争いもせず、みんなそれぞれが制約をも受けずに自由に信仰しています。

しかし、これらの宗教は全て、外国から入ってきたものですね。

仏教は日本で固有の進化を遂げ、日本の宗教と言っても過言ではないポジションにありますが、でもやはり、外国から流れてきたものに変わりはありません。

では日本には固有の宗教は無かったのでしょうか?

ございます。神道こそが、日本固有の宗教。民俗信仰だったのです。

 

明治時代、それまで一緒に祀られていた仏教の仏や菩薩らと日本の神々が、廃仏毀釈という決まりによって分けられてしまいました。

そもそも、日本の民俗信仰として歴史が古い神道に、仏教が後から入ってきたのですが、両者はとても相性が良く、真言密教を日本に取り入れた遍照金剛空海という大阿闍梨(メッチャ立派なお坊さん)が、神道の教義的な部分に真言密教の教義を組み込んで神道に密教的な力を与えたり、また一説では、日本の神々が、自分たちも煩悩を棄てて成仏したいと願ったことにより仏のそばに置かれたとの説もありますが、とにかく、昔は、そのような経緯により、神様と仏様は一緒に祀られていたのです。今でも、古いお寺や神社には、神と仏がきちんと祀られておりますが、廃仏毀釈(仏、釈迦を廃止する法律)以降、それまで一緒だった神と仏が別々にされてしまったことは、筋から言えばあまり良くない事だったと言えるでしょう。

 

神道は、簡単に言えば神社で行われている儀式、あるいは日本の風習文化そのもの、または日本そのものと理解いたしましょう。

日本人の心は、八百万の神(やおよろずのかみ)を拝むことにより鏡のように磨かれました。

 

 

また、ある部分では、日本の歴史とも言えます。

日本書紀や古事記、万葉集のことは学校で習ったでしょう。そして、現在の天皇陛下に通じる初代天皇、神武天皇のことや、神武天皇のお父さん、お兄さん、お爺さんのことは、神話として習ったと思います。日本は、最初、神様が造ったと。

 

その歴史を見てみると、日本人の精神性がどのようにして作られたのかが良くわかります。

 

心を強くするための要素の一つに、自信を持つ、ということが挙げられますが、どんな人でも、天皇陛下の子どもであり、しかも天皇陛下は世界中探しても日本にしかおらず、また、天皇陛下は、世界中の人々に愛されているのです。

そこから自信を得ようとまでは言いませんが、賢く、気高く、品位があって、落ち着いていて、風格があって、優しくて、自分のことより他人のことを優先するとした考え方は、古来より天皇陛下のお考えだったのです。

 

心を強くし夢を叶えるプロジェクトは、君たちを格闘技のチャンピョンにしようとするものではなく、喧嘩が強い親分にしようとするものでもありません。一言で言えば、君たちのグレードを上げようとするものです。

そのためには、日本人固有の価値観、美しさ、性質を学ぶ必要があるのです。

 

着物を着たことはありますか?

着物を着ると、なぜか背筋が伸び、気持ちに力が入る感じがしますが、どうでしょう?

もう少し大人になったら分かるかな。しかし日本人が着物を着れるのも、天皇陛下のお陰なのです。

なぜか、日本人は、日本の歴史を正しく学ぶと、気持ちが良くなり、喜びが湧いてくる気がするのです。

それも、天皇陛下のお陰なのですが・・・。あまり言うと、勘違いされてしまうかもしれないので、この辺で^^