2月11日は建国記念の日。

自分の国の誕生を祝って、建国記念日を祝日として設ける国はそう珍しくない。

日本も、紀元前660年1月1日(旧暦)に、初代天皇である神武天皇が即位なされたとして、昭和41年、祝日法の改正により建国記念の日が祝日に加えられた。

このこと自体、ニュースである。

世界平和の枢軸となるべく土着民を束ねて国を興した「神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめ らみこと)」が、初代天皇として即位してより2678年間続いた皇統と、第125代今上天皇明仁様のお元気と、数多くの辛酸を舐めつつ続いた皇国日本が、今年もまた建国記念の日を迎えたのだ。あまりニュースにならないほうが、ニュースである。

ところで、この建国記念の日。昭和41年に定められたというのは遅すぎはしないだろうか。

それに、他の国では建国記念日と呼ばれているのに、日本の場合は建国記念の日となっている。何故だろう・・・。それは、戦争によって日本が一時中断した時、アメリカによって建国記念日を取りやめさせられた時期が挟まっていたことと、建国記念日を定めること自体に日本の左派政治家が反対し、なかなか立法できなかったこと、そして、建国の日付をいつにするのか、という難問を越えなければならなかったからである。建国記念日はダメだけど、建国記念を祝う、建国記念の日なら良いとした理屈うぃ言う大人の顔が見てみたい。

まあ、この壮大な歴史に感動できず、天皇に感謝する意味が分からず、日本を愛することができない人というのは、それだけ情緒が乏しいのだろう。悲しいかな、そのような唯物論者に精神論は通じないものだが、それはそれで、可哀そうなことである。

花を見て綺麗だと思う人と思えない人。どちらが幸福か。

湧き上がる感動や、感謝の念さえ、自分の利益になる対価と引き換えでなければ感じられない人もいる。

同じ人間として、同じ構造をもってこの世に生まれた人同士でも、物理的には計測のできない何かの量か、質が違うのか。最初に生まれて、最後に死ぬ。という、誰にでも平等に決められた人生でも、人によって、生まれつき何かの違いがあるとしたら、神も仏も信じられなくて当たり前なのか・・・。

さあ、今年も頑張ろう。