「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然として敢えて正視するものなし。これ我が東行高杉君に非ずや」

釈迦ならずとも、死線を潜り抜けていた最強のサムライ、高杉晋作くらいになれば、世の中の理、法を悟れるのでしょう。

 

なぜ心を強くしたいのか?

少し例を上げました。

自分の考えも、ちゃんと、自分なりにまとめてみてください。

 

1、夢を実現するため。

中学生くらいで思うことと思います。

プロ野球選手になりたい。サッカー選手になりたいなど、体育系の取り組みをしていて上を目指している人に多い答えですね。

練習や試合で心が折れるから、折れない心をつくりたい!

心が弱いから緊張しちゃう。心をもっと強くしたい!

確かに、心が弱いと自分のポテンシャルが発揮できなかったり、出来ることが出来なかったり、練習についていけないこともあるでしょう。正しい判断や、的確な動きなどをコントロールするのも、頭だけれども最終的には落ち着いた強い心なのです。

それに、失敗してしまったからといって、いつまでも沈んでいたら、終わりですね。

体育会系のスポーツは、心の強い人間にチャンスが訪れますし、心が弱い人間は、チャンスが逆効果になってしまいます。

 

 

2、今の自分が弱いから。

対人関係における自分の押しの弱さや、言いたいことを言えない自分、目標を断念してしまう自分。

やらなければならないことが出来ない。

他人に強くものを言えない。といったところでしょうか。

しかし、それは心が弱いからなのでしょうか?

押しが強く、自分の考えを通せる人や、話し合いで勝つ人などは、はた目で見れば強い人という印象を受けますが、そうだからといって心が強いとは一概に断言できません。

ただ単に我が強く、よって相手の気持ちを推し量る能力が無い人。

我がままで、自分に優しく他人に厳しい人。

自分の考え方が正しく、その他の意見は聞き入れない。といったタイプの人の心が強いと言えるでしょうか。

あるいはそういった人に対して反駁することが出来るから心が強い、とも言い切れませんね。

時に、素直に謝ることが出来る人や、自分の非を認める能力があり、それを表現できる人。

嫌いな人と仲良くなれる人や、争いを避けるために自分を低くすることが出来る人の方が、心は強いです。

状況を客観的に見て、自分が正しいと思うのはこうだが、それが出来ない。

本当はやらなければならないのに、気持ちが逃げようとする・・・。これは、弱い心です。

感情的にならずに、無駄に喜んだり、悲しんだり、怒ったり、落ち込んだりせず、冷静に、客観的に物事を判断し、その答えの通りに動ける人が望ましいですね。

 

 

3、自由度が増えるから。

消極的=心が弱い。とした方程式を肯定するならば、心が弱い人は常に自分を守り、新しい領域のことに挑戦せず、あるいは挑戦しようとしても、失敗に対する恐怖心や打算など消極的な思考に邪魔されて、力強く前に進むことが出来なかったりします。

何かの取り組みをすぐに断念したり、力が発揮できずに(本当は成功するのに)失敗してしまったりする原因も、心の弱さでしょう。心が弱いと、人生が狭くなる。世間が狭くなる。自分の影響力が小さくなる。つまり表の社会というものの外で大人しくしているしかないような人生を送ることになってしまいます。

 

例え話になりますが、こういうこともありました。

私の知人(高齢者)が、自宅の浴室をリフォームしたという。

見てみると、確かに古びた壁が新しくなり、風呂釜も新しくなっていた。

「へぇ~~、綺麗になったね^^よかったね^^何十万もかかったでしょ?」

「それが、800万円かかったんだ・・・」

「はっ??それ、ボラれてるじゃん?」

「う~~ん・・・まあ、そうかもしれないなあ・・・」

「払ったの?」

「払ったよ」

「取り返してやるわ。どこの何ていう業者?」

「いや、いいよ・・・。」

「800万あれば家ごと建て替えができるじゃん?そんな業者は懲らしめてやんなきゃ。教えてよ!」

「いや、いいよ。面倒なことになりたくないし、後で何されるか分からないから・・・」

「はぁ??もうすでに騙されたじゃん?そんな会社、潰してやるよ?」

「いや、本当にいい・・・」

この話し、実話ですが、今の典型的な日本の高齢者はみな、こんな感じなのでしょう。

振り込め詐欺も、詐欺だと分かっていてお金を払ってしまう人や、被害にあっても黙っている人がたくさんいると思います。

“なにかされるかもしれない”

という、意味のない想像、恐怖に負けて、弱者の典型的な行動をとるのです。

日本は豊かな国だと思われているようですが、だからといって、普通、電話一本で騙されるでしょうか?

「そんなこと言うな!被害者の気持ちになってみろ!」

という人がいるかもしれませんが、被害者のその気持ちにも問題があると思う、ということです。

もちろん、本当に巧妙に騙されることもあるでしょうが、これだけ国中で騒がれている事案に引っかかるというのは、どこかに弱い部分があるから、反論できなかったり、聞きたいことを聞けなかったり、言いたいことを言えなかったりするから、まるで自分から罠にはまるかのように騙されるのではないでしょうか?

※ 今の高齢者世代は社会的な知識が乏しいということも災いしてますね。

僕は昔、弱い者いじめというか、弱いくせに不良をやっている奴を、脅かしたり、そいつから金を巻き上げたりしましたが、彼らは“知っていてわざと騙される”ことの名人だと思ってました。

強く言われると言うことを聞くのです。

架空請求に脅されてお金を払う人。

NHKの集金人が怖いといって、「NHKをぶっ潰す」とした政策を掲げている団体に助けを求める人。

何かの料金などを滞納したからといってビクビクしている人。

そういった人は、必要以上に苦しみますし、損をします。

正しい選択も出来なくなり、悲惨な場合は自殺したりしてしまいます。

しかし強ければ、このような事柄に巻き込まれても何でもありません。

なにも恐くありません。つまり、心の弱さから受ける束縛が無いのです。

心の強い人は、生き方に自由度が増します。

何か想定外のことが起きた時、「どうしよう。このままじゃダメになる」「ああなったらどうしよう」「こうなったらどうしよう」「もう死にたい・・・」となるのが今の日本人の平均的な内面力です。

強ければ、何が起きても、冷静に対処方法を考えられるし、相手の言いなりにならないで巻き返せるかもしれないし、それを逆手にとって自分に有利なことへと変えることも出来るかもしれません。

強さは自由を得られますが、弱さは、時に命をも落としてしまう原因となるのです。

 

 

4、そもそも人間は、心を鍛えるために生まれてきた

私の師匠、頭山立國の祖父頭山満は

人間は魂(しいだま)を鍛える事だけを考えておればいい。あとは何も考えんでいい。

と言っておりました。

諸行無常。

釈迦は、この世の現実、存在、本質も、すべて常に流動変化するものであり、一瞬といえども同一性を保持することができない。これを生滅の法というが、生滅の法は苦である。しかし生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住(変わらない)なものであると観るから苦が生じるのだと説いておりました。

釈迦は、説法を始めた初期の頃この法を説いていたと阿含経(仏教の初期の経典)にありますが、入滅、すなわち亡くなるとき、最後の教えとして残した涅槃経(釈迦の最後期に説いた言葉。最後の経典。仏教の真髄。)でも同様に諸行無常が説かれています。そして、唯一、常なるものは仏性(私たちの心。本質。魂。)であり、この性を向上せしめ、生を滅し、滅を滅し終われば、寂滅となり、寂滅は楽、すなわち涅槃であると説いています。

 

心を強くし、大きなうつわを手に入れる。

これを言い換えると、

どんなことがあっても苦しまず、現象、状況の何もかもを受け入れられる人になる。

と、理解してほしいと思います。

 

夢を追えば、必ず終わりがきます。

誰かと対立すれば、勝っても負けても必ず苦がきます。

努力しても、報われないことのほうが多いです。

正直に生きたから幸せとは限りません。

かと言って、静かに、対立せず、常にお人好しになっていても、生きる意義が感じられません。

お人好しは騙されることもあります。

良い人だからといって良い死に方をするとも限りません。つまり、人は、「絶対」のない不安定な世界で、その人にあった苦しみを抱え、その人ならではの苦境を背負いつつ、生き抜き、そして必ず最後に死ぬ、という“法”の中で生きていかなければならないように“できている”のです。

しかし、心を強く、清らかに、苦難を乗り越え、そして、誰に対してではなく、“自分を知っているもう一人の自分”に対し真を尽くせば、たとえ結果がどうであれ楽しいものになる。ということです。

 


 

高杉晋作の言葉(一番上の画像)

 

おもしろき

ことも無き世をおもしろく

すみなすものは心なりけり

 

「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけます!」。

元治元年(1864)12月15日、雪の舞う深夜の長府・功山寺。高杉晋作は、僅か80名の手勢を率い、萩藩政府打倒に立ち上がった。

多くの者は高杉の考えを無謀といい、高杉が創設した奇兵隊ですら尻込みしました。

「われは俗論党に牛耳られた藩公のもとに駆けつけ、お諫(いさ)めする。途中、不幸にも俗論党に遭遇し斬られるならば、それは天命である」

「一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義を顕わすことができる。武士たる者、一時の安座も許されぬ」

力強く声を上げる高杉晋作だが、それでも奇兵隊はじめ諸隊は起たなかった。そして、ついに晋作は「自分一人でもかまわぬ。われは赤間関(あかまがせき、下関の古名)の鬼となる」と叫び、寡兵での功山寺挙兵に踏み切るのです。

翌年正月、たった80名の決起が成功し、その半年後、15万の政府軍に攻められるもたった4000人で勝利した高杉率いる長州藩。

坂本龍馬の力も借りて九州を落とした長州勢だったが、小倉城を落とす寸前、高杉は喀血し、瞑目してしまいます。

享年29。

その時に詠んだ辞世の句がこの「おもしろき~」でした。