心を強くして夢を叶えるために哲学?

って思うかもしてませんが、そりゃそうですね、でも、哲学は必要です。

 

哲学というと、なんだか哲学者みたいに難しく考えてしまうかもしれませんが、そもそも哲学とは、考えること、考えるのが好きな人を哲学者と呼んでいただけの話しなので、そんな、吐き気がするほど嫌なことではありません。チョイチョイ、キミキミ、他のサイトに行こうとするのは止めなさい。

 

例えば二郎君の場合。朝起きた時いつも、「あ~~~あ。なんで学校に行かなくちゃならないんだろ~~~」と考えておりました。

なぜ、学校に行かなければならないのか?

これはすでに哲学なのです。

 

お母さんが部屋に入ってきて、「そう言えば、3組の尚美ちゃんがあんたのこと好きだって?お母さん聞いたわよ!だって、お母さん、尚美ちゃんのお母さんとママ友だもの」。

その瞬間、二郎君の脳に血がダクダク流れ込み、血圧が一気に上昇!

「よっしゃ!学校行くべ!」

となりました。二郎君は以前から尚美ちゃんのことが大好きで、しかも尚美ちゃんは学校で一番モテモテの女の子なのです。

そこで、

「中学生という生き物は、朝、学校に行きたくなくても、好きな女の子に会いたいと思うと、行く気になるものである」

という哲学が完成しました!

 

 

学校へ行くと、下駄箱に女子が一人、立っている。

「ああ、あいつ本当にヤバいな。体重、俺の3倍はあるだろ」。

と考えながら靴を脱いでると、

「じじじじじじ二郎君。すすすす好きれする」と、コクられた。

「ってかお前、左の鼻の穴からなんか出てるぞ!」と、二郎君。

「ごべんなざい~~~~」と、密猟者に撃たれて倒れる像のように座り込む女子。

「お前、同じ学年だよね?」

「ぞうでず~~~~」

「何組よ?」

「ざんぐみれする~~~~」

「3組?」

「はい~~~~。ざんぐびの細田尚美と申しまする~~~~」

っておい!そこか!!

これが、ギリシアで発祥し、カント派、論理実証主義、実存主義など、人間の根本的知性に関与した、科学の基盤ともいえる、哲学の基礎なのです。

 

 

あまりにも難しい話をしたので、ここからは簡単に。

哲学は、そもそも西洋の人たちが、「神とは何か」という疑問を中心に論理的実証を繰り返してある説を完結させるために知を費やしたことが源流とされています。

神はいるのか、いないのか。という二つの派閥は、宗教問題や政治の体系を作ったり、「実証主義」により科学的な考察が生まれたりしましたが、日本では主に、仏教と神道という大きな枠組みの中で様々な議論のもと、発展しました。

 

心の話しは、本来、哲学の領域が担当するべきです。

しかし、あ~でもないこ~でもないと、無駄に頭を使っても仕方がないので、元の知性→創造→実例という具合に、つまりほんの材料として、哲学を使おうと思います。

 

このプログラムで述べることが、私の思い付きや勝手な考えではないということを補佐するべく、あえて哲学を取り入れました。ちまたの、変な教育者が言う「愛」とか「心がキラキラして・・・」みたいなアホな大人の話しより、よほど地に足の着いた、普遍的で確実な理論を組み立てられると思います。

 

ちなみに二郎君は、尚美ちゃんを殴って怪我をさせてしまいました。

そして翌日から、学校にも行かなくなってしまったそうです。

つまり、

「中学生という生き物は、朝、学校に行きたくなくても、気になる女の子に会いたいと思うと、行く気になるものである。がしかし、気になる女の子との間を立ち塞ぐ魔物に出会うと、無意識のうちに暴力的になり、会いたいというエネルギーを拳に込めて放出してしまう場合がある。ゆえに、人は、他の人の話をするとき、最初に、フルネームを知るべきである」

という哲学が、また一つ出来上がるということです。