社会の福祉行政がかなり整っている日本では、子供が生まれる前からでも「子供の成長・健康維持」に関わるサービスを簡単に誰でも受けられます。が、子供の内面的な成長を助けるサービスはどこへ行っても受けられません。

 

あたりまえの道徳的なことや、モラル、その場その場での注意、親や大人の感情からくる叱責などは嵐のように降り注ぐのですが、それは親や世間に都合の良い子供に育てばよしとした価値観から発せられるものであり、本質的な人間教育と言えるものではありません。「長養の情にうったえて上からやかましく言う」ということは良くないと、ある古賢は言いました。「中学生ならば・・・」「今の子供は・・・」「普通は・・・」の、先に付くほとんどの言葉は、大人や社会の都合の上に成立しているものであり、子ども自身の、本質的な助言にはあてはまっておりません。そして、それにさえも気がついていないのが、今の世の年長者の「質」なのです。

 

頭の上から降り注ぐ小言や感情的な言葉が、子供の心を小さくし、あるいは消極的にしてしまっています。

成長する過程において、知らぬ間に積もった鬱憤に火がつき、爆発する子供もいるでしょう。

嫌な思いが足かせとなって、行くべき道に行けずに深い溝に落ちてしまう子供もいるでしょう。

そして内面を育てることの意味や重要性、方法を知らずに育った子供たちは、あたかも輪廻するがごとく自分の子供に対し同じ様な育て方をするのです。

 

然るにそう考えれば、私たちも「人間性を教育することの価値を忘れた人たち」の子供であり、しかし私たちの親世代も、同じく「本質的な人間教育」を行うことを放棄した社会に育てられた子供でした。

さかのぼること約150年。

日本が近代的な教育システムを取り入れ、その柱である知識教育を、世界に類を見ない程のスピードをもって急激に拡げていた時、本当は一番必要な教育だったものを「あたりまえの事」として確認を怠り、あるいは排除したのです。近代化のために、日本は日本を失ってしまったのです。

 

このプログラムに於いて、私は、自分が経験したこと、学問からの応用、そして日本の歴史的価値観の域を出ず、つまり世の中で流行っている言葉や価値観、ウケ狙い、迎合はしないと決めています。

何かの本を読んで、「これは使える!」と思っても、それを他人に伝える際は力が無いのです。

経験して、腹に落ちたこと。私はそれ以外のことを他人に話したくありません。言葉に力がこもるというのは、真実であると自信があるからであり、相手にも通じると思います。