娘が中学生のころ、学校主催の子育て勉強会的な行事があったので参加してみた。
講師は、○○県内のいくつもの中学校を飛び回って公演している、言わばその道のプロらしい。
どんな奴がどんな話をするのか見てみたい。
つまらない話をしたらロジカルに追い込んでやろう・・・などと思いつつ。

二時間の予定だったか、あまり覚えていないが、本筋の話に至るまでの三分の二くらいは手品を披露してくれた。飽きないようにとの配慮なのか、ネタが無いのか・・・しかして残りの僅かな時間で「教えてくれたこと」は
「家に帰ったら、お子さんに向かって、心のそこから“愛してるよ”と言ってあげて下さい」
「君が生まれてくれて本当に良かった!と言って、抱きしめてあげて下さい」
恥ずかしがらずにやれ、ということだった・・・

呆れもしないし、腹も立たない。

家に帰って、娘を見つけ、ニヤニヤしながら「愛してるよ~」と言いながら恐がる娘を追い掛け回してやったが、うん、確かに楽しかった・・・。

 



 

心の教育というものが話題になっている頃のことである。テレビでも討論番組を流していた。
幾人かの識者が、意見を交わしあっている。

『今の子どもたちに教えるべきことは思いやりと命の大切さについてだと思います』

彼は教職員らしい。自分の授業でも、命の大切さや思いやりについて話し合っているという。
しかし・・・世の中の、例えばそれが殺人犯であろうとも、命の大切さを知らない人、あるいは他人の命を奪ってはいけないということを知らない人が、いるのであろうか・・・?
彼は、生徒に、出産シーン(動物の)のビデオを見せ、命の大切さを教えているらしいが、気持ち悪いだけではないのだろうか・・・・・
彼は、最近(でもないのだが・・・)よく起きる、残忍な少年犯罪をみての手当てとしてそう思うのであろう。が、出産シーンを見ようが命の大切さを強調されようが、逆上する人間を制止する力には繋がらない。

現象を、現象のみ表面だけ捉え、足し算か引き算かのように考えているのだ。

第一、思いやりという、心の奥から発生する『質的』なものを、観念で、あるいは言葉で教えてどうなるのか、疑問である。

 



 

あるNPOの職員がこう言った。

『子どもたちに残忍な心を植え付けているのものは、ゲーム、食べ物、有害書籍、そして携帯電話です』

つまり彼らは、子どもの環境からこれらを一掃しようと活動しているらしいのだ。
しかし・・・
これは比較論なのである。つまり、過去と今との・・・
昔はこんなものはなかった。しかし今はある。
こんなものがあるから子どもがおかしくなったんだ・・・と。
ゲーム他が心に有害であるとした学術的な根拠があるのなら、提示してほしい。
ゲームと言えども色々(ソフト)ある。
眼が悪くなる。と言われれば理解するが、もしそれを印象的に言っているのならば、もう少し深めてから言うべきだろう。

 

悪い子は昔から多くいた(私もだが)。
売春するような中高生は少なかったが、今のような情報社会に生きていれば当然やっただろう女の子は多くいた。
形が変わっただけであり、つまり内面的なものは変わっていないのだ。
彼らの発言を統合すれば、「法の強化」しか手立てはない・・・。もちろん、根本的な解決には繋がらないが・・・。つまり、何も進歩していないのだ。

 



 

親の愛が足りないから・・・
勉強のしすぎ(ゆとり教育は、このような浅薄な思弁から発生していた)。
核家族の見直し。
近隣住民一体化の取り組み。
親が怒らないから・・・。
親が怒りすぎるから・・・。
色々な意見があって、面白かったのだが・・・。
「手も足も出ません」
と、正直に言う人は皆無であった。みんな、嘘つきだ(苦笑)・・・。

しかし、一つだけ分かったことがある。つまり『彼ら専門家らは、子どもを客観視し、造作するがごとく扱おうとしている』のだ。
こうなってほしいからこうする。
これだけは困るからこれを教えておくべきだ、と・・・。

最近の若者は~
の先に様々批判的な語句を並べ、ムカつく大人たち。
犯罪率は、子どもより大人のほうが多いのに、彼らは、ムカついている子どもに対し、ムカついているだけなのだ。

 

このプロジェクトは、ムカついている大人のために行われるものではない。

例えば道徳
道徳という言葉を英訳すればモラルとなるが、思想的にも、情的にも、私は「道徳」と「モラル」との言葉の間には深遠なる溝を感じるべきだと思っている。
日本道徳。
あるいは日本的な心の教育とでも言うべきか。
少なくても、この溝を深く追求しなければ何も変わらない。

 


 

子どもは天使・・・?

心の教育という言葉が流行になってより「変な人」が軒並み世に発言し始めた。
子どもは愛で包むもの・・・さあ、あなたの愛を向けてみて!
子どもは必ず答えるから・・・・!!

意味がわからない・・・

どんな事をしても怒らないで・・・!
子どもはあなたの愛を試しているだけだから!
そこであなたが怒れば、子供の中に住む天使は空に昇っていってしまうでしょう。

誰がどこに昇るって・・・?

大きな木を想像してみて下さい。
みんな入れたかな・・・?
誰かそこで泣いていない・・・?
だったら、つめてあげれば良いのよ!
みんなで入ったから、木は大喜びね・・・・そう、仲間はずれって、誰もが嫌うものなの・・・。さあ、となりの人と手をつないで。感じるものがあるでしょう・・・それが、感動というものなのですよ・・・。

一言で表現してみよう。
つまり、これらの気持ち悪い、あるいは自己満足的な言葉を以って自分だけ幸せになっている人たちのことである。

 

「戦後母性」

これである。

 



 

力が無くなった。
思考に哲学がなく、心と言えばあたかも新興宗教の教祖が言うセリフを並べれば済むと思っている。

神の子・・・

ゾクッとするが、はっきり言おう。
あなたたちは害である。
脳に電気が走っていない。
戦後、我々は、それまで普通の事として遭遇して来た事柄を以ってそれが異常であるとされた経験を、多くしている。
いじめ等も良い例であろう。
いじめてはいけないと教師や親がハッキリ言うのならばそれでも良いが、「いじめられたままにするな」と言う人や、「いじめを見てみぬ振りをしている奴も悪い」と言う人がいなくなった。

心の傷・・・?
トラウマ・・・?
心因性外傷・・・?
そんなもの個人にとって当たり前のものである。

「負けるな」
「もっと深く考えろ」
「考えられ得る全ての対策を講じてみろ」
「諦めるな」
「独りで悩むな・・・」
と、何故いえないのか・・・。

きれいな、気持ちのいい言葉を世の中に認めるのは止めようじゃないですか。
もっと真剣に、もっと現実的に世の中を見てほしい。
かの軽い言葉が何ら意味の無いものである事を知り、あるいはかえってそれらが害である事を知るべきだ。

 

右翼が、日本人の日本に対する正しい思想に屈折を与えたように。
政治家が政治を軽くしたように。
医師が医療の信頼性を低くしたように。
警察官が日本警察の意義を曲げたように。
精神論者が日本人の精神論を曲げている。
危機なことだ・・・・。

正しい教育の見本は日本の過去にあるのに・・・。

自分にとって一義的な幸福のありかを指し示し、いたずらに時間を流す生き方を戒め、深く、濃い人生を歩むために必要な哲学を語り合い、社会の本質を学ぶ。
お子様の心に強固な支柱を立てるために、是非、役立てて下さい。