児童心理学から

日本において児童心理学というものが注目されたのは、戦後のことだった。
言論の自由さえ奪われるとした戦中の、異常期間をすぎたころである。
突如として様々な学問が隆起し鷹揚とする間もなく萌芽を伸ばす中、この欧米の価値基準により伸張した、つまり洋風に染色された人間哲学も、共に注目されたのだ。

『心理学と民主主義との間には密接な関係がある』

フランスのある学者は戦後、こう述べている。
日本の場合もそれが顕著だったということだ。
人間に対する非尊重的な態度に反駁して猪突猛進するがごとく成った人間愛的民主主義の影響が、教育現場にそのまま浸透し、この新しい学問を、新しい価値観が押し上げた。

 


 

初期の児童心理学は欧米受け売りの観が強く、しかし欧米と日本とでは学問の伝統のみならず対象児童もまったく違う。
翻訳本も多くあったが、それはごく初歩的なものか高度に専門的なものかのどちらかであり、あるいは日本の研究者の学識や所持する研究資料には限界があり、よって実力とムーブメントには差異があった。

が、そんな折である。
その、難と、簡との中間を狙うべく、当時、お茶の水大学の教授であり文学博士でもある波多野完治氏と、東京大学の教授であった衣田新氏が、各国公立及び私立大学の教授に声をかけ、当時としては完全を誇るであろう一冊の著書をまとめることに成功したのだ。
表紙には
『児童心理学ハンドブック・金子書房』
となっている。
おそらくこの本は、日本で最も古くて高度であろう児童心理学専門書であるといえるだろう。

 

児童期は何の役に立つか・・・
スイスの心理学者クラパレードの言葉である。
この本を開くとまず始まる課題であり、あるいは児童心理学の主要課題であるとも言えるだろう。
ないし、子どもを持つ親ならば知っておくべき最低限の認識事項であるとも思われる。
教育(子育て)とは何か、という問いかけは、この答えに対する認識なくして成立し得ない。

さて、クラパレードから。

波多野氏はクラパレードを機能主義者と呼んでいた。
が、しかし彼(クラパレード)はアメリカの機能主義者らと違い、あるものをそれ自身においてではなくより広い全体的な見通しのうちにおき、それを、そのより大きい全体の部分として函数的に扱うと言っている。
今や、弁証法の特質の一つとして物を孤立においてでなく他の物との関連において眺めるべきと主張する哲学者もいるのだが、然るにこの意味でクラパレードの機能主義は弁証法をその萌芽の形でもっている。
近代科学の中に弁証法を活かそうとした最初として少なからず評価をするべきであろう。

・・・

ちなみに現代物理学を発展させたものは還元主義である。
物をそれ自体とみなし、部分から切り離して分析し、また元の部分に戻すとして・・・。
還元主義こそが唯物神話を呼んだのだ。
物と物との間に挿入される精神的神秘的な思想が、この還元行為の繰り返しにより消え失せた。
全体的な見通しの中の部分とした価値観の希薄化が原因により、心の腐敗が始まったとして過言でない。

・・・

クラパレードは、人の児童期についても、その(非還元論的な立場の上に成立する)機能主義的な理解を得ようとした。
クラパレードいわく

『子どもは小さいから子どもなのではない。子どもは大人になるから、大人になるために子どもなのだ』
と・・・。

しかしこれは目的論ではないという。
子どもは大人になる過程としてのみ意味を持つが、それは<生気説>的な意味合いではなく(適応)であると。
子どもは子どもだという現在的な見地と、子どもは将来大人になるという未来的な見地は相補的なものであり、よって決して対立せず、問題は、どういうやり方が、子どもであることを活かしつつしかも大人になるための途中の過程としての意義をもたせ得るか、という技術の問題にあるはずだと。
波多野氏はこのことを『教育』と呼んでいた。

児童期の意義を十分に認め、その時期を活かすことによって素晴らしい子どもから素晴らしい大人をつくりだす。
それを念頭にし、児童期は

「教育さるべき動物期」

あるいは

「教育可能性の大きい人生の時期」

と呼んでいいと、締めている。

・・・

児童心理学において、児童の発達は、遺伝、環境、教育、子どもの自発性が要因になるとされている。
つまり子どもとは、元もとの性に対して働く外因の影響によりその人格というものが決定せしめられ、あるいは遺伝や、そもそも持ち得てきた自発性といった内因により、その外因との調和や反駁が成り結果に繋がることになると。

子どもは、定められた一つの条件の中に生きている。
遺伝、環境、教育、自発性。
いずれの要素にも相関するものは親である。
措定した徳目を押し付けるのではなく、限りなく深く子どもを洞察した上で伸ばすべき部分を伸ばし、打ち消すべき部分の削除に努め、環境として最も良きものであろう世界を創り上げて悪しきものを排除する。

自己中心的な動機によらず、しかし甘やかすことにより子どもが弱くなると思えば眼の奥で涙をのみ、怒るのではなく教えてあげる。

子育てとは救済なのだ。

子どもに幸を掴ませようとその道しるべとなり、また、強くなれよと障壁となる。親は、深く 深く考えなければ成立されないものなのだ。