・うつわの大きな親になって欲しい

 

余談っぽくなりますが・・・
私の生まれ故郷である庄内の藩歴を辿ってやっと出てくる程度の人物に、伊藤仁右衛門という豪傑がいました。

戦国のころは伊達家に仕え、後に山形の最上義光に仕えたが、行く末は庄内酒井家に落ち着いたという遍歴の持ち主。
この男の腹には指が入るほどの穴があいていた。
自分の孫たちの指をその穴に入れさせてよく遊んでいたという。
この傷は、まだ最上家に仕えていた頃できたものだそうです。

長谷堂の戦が大乱戦となり、援軍として伊藤が加わったが、敵の弾丸雨あられのごとくであり、腹部に一発くらってしまった。
しかし豪勇の伊藤には痛みがなく、ただし傷から腹に血が入ると死ぬと言われたために近くの畑から大根を引き抜き、傷口にそれを刺してまた戦った。
大根で栓をしたのである。

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伊藤は酒井家から三百石を賜っていましたが、他藩からその三倍だすからと交渉されてそれになびいた。
藩主に申し述べて暇を乞うたが殿は許さず、閉門謹慎を命じられてしまう。
さらに伊藤のせがれは所払いにされ、他国に追放されてしまった。
しかし伊藤は平然とし、謹慎する様子さえ見せず、自宅に友人や盲人を招いては酒宴を繰り返していたという。
家人が注意すると
『かまわん』
と言って大笑いし
『お前の知ったことではないわ』
と、取り付かせなかったそうです。

殿に忠告する者もいたけれども、
『さすが男だ。それで良い』
と、殿は謹慎さえ解いてしまう。

武勇が多く、豪傑ぶりも凄かった。
が、人情に厚く、酒井忠勝公が新規召し抱えの時に、自らの手柄を他のサムライに付けたり、あるいは伊藤の、会津城陥落一番乗りという手柄を辻加賀という男が横取りした時も、怒るどころか辻加賀の職を案じて黙っていたそうです。

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老人になって、ある日、番田原を歩いていると、前から四、五人連れの若い者が歩いてきた。
若い者らは道行く人にツバをかけながら歩いている。
伊藤が横に来た。
若い者らはためらわずにツバを伊藤に吐いたのだ、が・・・
『若いうちはそれ位の勇気があっていい』
と、言ったそうです。

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日本人が狭くなった。
むき出しの神経を気遣い歩く狂犬のように日常を過ごし、少しの事でイライラする。
何も許さず、すぐに責任をとりたがる。
子どもではなく普通の大人がだ。
人間の幅が、全くなくなったと言っていいでしょう。

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私は、心の教育と言う人の何割かにおいてはこの小ささゆえの事から発していると思っている。
『やかましく言うお前らの方がよっぽどタチが悪い』
この小ささが、これ以上日本に伝染しない事を願っているのですが・・・

然るにこの小ささは子どもをも小さくする。
他人に優しく、自分に厳しい。
これは親の鉄則です。が、意外にも、人に厳しい人ほど小さく、または道徳や心の教育を強要する人の心も小さいように見受けられます。

大らかな気持ちで親を生きたい。
そしてそれが、心の教育に繋がるのだ。
心は、心に反応してしか大きくならない・・・。