・忘れられた、教育の目的

 

誰の、そして何のための人生なのか。

明確な目的というものは、その人の行動や手段を浄化させる。
弛まない努力を維持させるものも目的であり、志に揚力を与えるものも目的であり、それに抱く慕情である。
子どもに対し、『いいからやれ!』とした言葉が効力を発揮するには、忠誠心を肌から染み込ませるがごとく強烈な支配関係を作らねば無理だろう。

無論、仮にその関係が成立したとしても、子どもの自我が発達するにつれその効力は薄れ、ー反抗ーという形にて果を結ぶのだが・・・。

自分にとっての日常とは何のために存在するのか。
子どもたちは、これを知らされずに行動するがゆえに潜在的な屈折をする。
それにより苦しむのは子ども本人なのだ。
そしてあらゆる日常は、あらゆる問題に直結している。

 

J・P・サルトルの戯曲、『墓場なき死者』の一節に・・・。

第二次世界大戦中のことである。

反ナチス地下レジスタンス運動を行っていたある闘士が、逮捕された。

彼がナチスに求められたのは仲間の隠れ家についてである。

強烈な拷問だったという。

が、彼はそれを知っていたがゆえに拷問に耐えたのだ。

もし本当に知らなかったならば、そのような拷問には耐えられない。

彼は、自分が自分の頭で解釈して納得のできる理由や目的に支えられたからこそ、その強靭な意志を維持できた。

結局死に至るまでその拷問に耐えた彼の精神は、認識という思考行為が支えたということなのである。

という部分がある。

然るにこの戯曲は単なる空想とは言い切れない。
ナチスの収容所から現実に生き残った人たちに対して接見し、その精神状態などを調査研究したドイツの精神医学者V・E・フランクルは、名著、『夜と霧』の中で

収容所で生き残った人々の精神を支えていたものは、当人の自覚と納得により率直に作り上げられた目的であり、その理由であった。

と結論している。

 

私たちは何を「知らなければならない」か・・・。

一つには自分についてであろう。
なぜ生まれてきたのか・・・。ではない。
なんのために生まれてきたのか・・・。だ。

現実にいまここに存在する自分を独立した実体として限りなく深く自覚をし、客体つまり自分を含まない世界と、自分との関係、そこに働く理、自分は有限の存在であり、しかも逆行できない時間の上に乗っているという認識などを深め、確立し、醸成する。
我々は、あらゆる気付きにより内省を深めることだろう。

次に、日常のあらゆる題材を個別に取り上げ、それを行うのは何のためなのか?
誰のためなのか?
何を望むべくそれを行うか?
いつになったら効果がでるのか?
それをしないのは何故なのか?
といったことを哲学するべきである。
その段階において必ず認識しなければならない知は因果律についてである
思惟は行動に繋がり、結果に繋がるのだということを、常に認識するべきだからだ。

些細な事であるかもしれないが、その繰り返しにより人間の行動に意味が生まれてくる。
自能性を引き出す一つの知恵として、心しておくべきであろう

文献(ナチス関連) 心と物と神の関係の科学へ (鎮目 恭夫 著・白揚社 出版)