・道徳の本質

 

五常、すなわち仁、義、礼、智、信の徳性を知らず、語れない「教師」が、学校に於いて、子供に道徳教育を行っている。

それまで問われることの無かった人倫教育の価値を見直し、心に“真面目さ”“素直さ”を施術せよと・・・。私は、文部科学省が、この苦肉の策を講じ始めたきっかけが、大人に面倒をかけない子供の生産にあたうべき理屈を求めるとした動機にある限り成就しないと見ていたが、事実、観る限りでは、法が適わない年少児童に対する擬似的な法か、あるいは罰則のない法、法の下位に存在する法といったものの施行を望むべく、ある種の社会的な束縛力を強化せよとした風潮しか浮かばない。悲しいかな、知る限り何処の教育現場にも、純粋な日本道徳が存在し得ないのが現状なのである。

 

思想というものは、必ずその時々の社会情勢と密接な関係を以って浮上する。
社会そのものが有機体だからだ。
多数の細胞や器官、割り当てられた臓器からなる高等生物の個体に対し、社会というものは、その構造として何の違いもない。
かつて精神大国と言われたこの日本においても、まるで機能障害を免疫力により回復させようとした治癒行為のように、子供たちの道徳性(今の日本が求めているものはモラルだが)を回復させるべく道徳教育を行おうとした傾向が湧き出てきて当然の事なのだが、手に負えず、結局は、法の力を低年齢層に敷き詰めるしか手立てがないとした方向に向かうのが目に見える。

これは年長者の情が利己を超えられない証であろう。

 

道徳の教科化

子供に対し、社会秩序を守らせるための徳治的思想を宣揚する。とでも言うべきか。

私もこの潮流に参加したいと思っている(民間として)。が、それは子ども達のためである。

道徳を洗礼し、現代というものが答え得るものにしたいと思うのだ。
孔子や孟子や老子が、現代日本を生きていたならば・・・とした雰囲気は出せないが。

子どもたちに本質的な自由を与えたいし、親御さんからも与えてほしい。