・忘れられた、教育の目的3

 

この国の最大の特徴を思い出せ。

世界で最も理想的な国家は日本である。

 


 

歴史の話になるが、日本において徳治的な要求を社会的指導者が宣揚するべく倫により民を統治しようとしたことが、無論これらは純粋なる動機としてだが、知る限り、今までに二度ほどあったようである。

まずは聖徳太子の十七条憲法。

「和を以って尊しとすべし」
との意味合いにてその解釈が浸透しているこの法だが、十七条のうちの中心(憲法というべきか)は仏教を反映させつつも、以下過半数は臣に求めた忠(刑法というべきか)を示唆していたのであり、すなわちこれは、朝廷を中心とするその社会的な秩序を、人倫により統治しようとしたものだったのだ。
理想的な徳治社会の形成だ。
ちなみに、これは朝廷が他に対し支配的な関係を築くべく、特に臣に対する統治を行おうとしたものではなく、言うなれば「和」たるその理想の具体化たらしめるべく、規範として、政令色を与えたものだった。
聖徳太子は、この学術的な模範として儒学にその養分を求めていた。
つまり日本道徳の最初は儒学によりその揚力を得たとなるのである。
飛鳥から平安にかけての日本の学問は、儒学が首位を占めていた・・・。

 

平安朝の頃。
仏教の側より「本地垂迹説」が主張され、仏を本とする神仏同一説が説かれる。
空海の、東寺における稲荷社受容から始まる鎮護ないし神仏習合思想の結果である。
そして鎌倉時代中期になるとそれは発展し、密教の立場による両部神道の教義となり、以降徳川時代まで神道理論の主流として温存されていた。

南北朝時代。
つまり復古精神昂揚期には、「反本地垂迹説」とされる伊勢神道が全盛となり、室町時代にはト部神道へと発展する。
熾烈な武戦が続く頃だ。
織田信長、豊臣秀吉、と戦乱の将が現われた(ちなみに信長の無神論思想は有名だが)。
一つの国土に分散する独裁国家併存のごときこの時世。
必然と言えようか、指導者たる者の思惑は戦勝にひたむく傍ら、統治、支配、権力の護持といった、つまり兵や民の内的な壁面強化に大きく傾倒したのである。
そして徳川家康。
すなわち第二の道徳時代がここに来た。

家康は、民が天皇に向けて来る崇拝的かつ宗教的な羨望心と憧れ、尊敬の矢を自分に向けるために、そして、縦社会の軸の強化と、権力統治のためにとした、つまり統治者の事情として儒学の宣揚に力を入れた。
つまり道徳である。

藤原惺窩を招き入れ、貞観政要の講義を自ら受け、漢書を習い、あるいは伏見に学校を建て、「孔子家語」「六韜三略」「貞観政要」等を出版した。
この頃より幕府中央の意志が波状的に影響し、それまでは存在しなかった「儒学者」というものも多く噴出した。
家康は、時の学問として儒学を広く奔馬させ、サムライの常用学問として世に設置したのである。

ちなみに、儒者(儒学者)と呼ばれた者らはみな既に仏教の祖流を受けており、あるいは日本道徳とは仏法より得た精神主義的な価値観を土壌に、その精神の使用方法として方向づけするべく社会性を加給したものと定義できるかもしれない。

例えば藤原惺窩が発掘した朱子学は、その興起、唐にてすでに仏教が混入しているため、朱子学は宗教道徳のようだった。
それより後、日本人はその脳髄を沸騰させるべく儒学を練りに練り、「和学」と言うべき独自の道徳体系を成立せしめるのであった。

封建社会。
つまり厳密な支配社会であり、階級社会であり、不平等社会である。
これを成立せしめたのも道徳だった。
美しきものである反面、その使用方法如何によれば、まことに浅薄なものに成り得るものである。
今の教師にその大役がこなせるのか・・・?

子どもたちがかわいそうだ。