長男、二十歳。

私が若い頃、某テレビ番組(スポーツ系)のスポンサーをしたり、局アナに衣装提供したりしていたため、プロ野球選手と多く縁があった私だが、私自身としては何ら野球に興味が無く、「将来は息子とキャッチボールをしたい」とよく聞く親父の夢物語など一度も口にした事が無かったが、息子が小学4年の頃、たまたま遊びでキャッチボールをしたところ
「野球をやりたい」
というので、学童チームに入団させた。

 

多分、日本で下から5番目くらいに弱いチームだったのだが、私も活動に協力し、同時に野球を勉強し始め、結局コーチになり、それから長く続く野球の道に息子と一緒に入っていった。

 

1年ほどで娘の高校進学のため東京都市部に引越し。
楽しかった最弱チームの子供たちとお別れするのは寂しかったが、息子にしてみればステップアップの機会である。
考えもしなかった土地ゆえに右も左も分からず、どんなチームがあるのかさえ分からぬまま、勢いで、硬式野球チームに入団。
毎年のように全国大会進出の可能性を持ったその名門チームでは、練習にはついていけるものの試合にはほとんど出られず、辛酸を味わったが、一度たりとも諦めず、毎日、学校から帰ってくると私を練習に付き合わせた。
中学生になっても同じである。
彼は、平日、土日と休むまもなく練習していた。

 

高校進学。
彼の実績は白紙に近いが、気持ちが折れることはなかった。
絵に描いたように、その頃から、それまで溜め込んだ養分を形にするべく萌芽を伸ばし始め、それまでは一応、西東京でベスト16に入る程度の学校だったが、入学して早々1年生の夏からベンチ入り。
2年生になると一桁の背番号を背負い、いつの試合においても先発レギュラーとして水を得た魚の様にグランドを泳ぎまわっていた。

そして3年夏、彼はキャプテンとして強豪校との試合に勝ち進み、甲子園をかけた神宮大会にまで昇りつめる。

最後、彼の頭上を超える打球を、無理と分かりつつも追いかけたがグラブの遠くを通過。ベスト8で試合終了。試合後の、保護者らに向けた彼のあいさつは、悔しさなど微塵もない、やり切った男による、涼しげなものだった。

 

野球はもうやめよう・・・と、思っていたようだったが、無名と言えば無名だった高校が突然ベスト8までいったことで、当然のように、強い大学から引っ張られ、強豪大学へ進学。ここでも、50名以上いる同学年のスター達を尻目にひとり、1年生から公式戦に出ていたが、

「チームに気持ちが入らない」

とした、言うなれば、厳しい野球を耐え続けてきたことで培われた彼の潔癖性が邪魔したか、1年の冬に突然の退部。

 

息子「野球やめます。色々とありがとうございました。ごめんなさい・・・」
私「なんで謝る?」
息子「いや・・・お金とか無駄にしたし・・・」
私「アホか。んなもん気にするな!そもそも払ってないわ!はっはっは~~」
息子「・・・・・」
私「で、これから何に向かう?」
息子「アメリカに留学したいです」
私「ほう・・・アメリカ人になるの?・・・ですか・・・?」

息子「・・・・」