自由になれたという錯覚

 

歩いたり喋ったりし始めた頃から家業を手伝い、田畑へ行ったり山について行ったり、道場の床を雑巾がけしたりした頃の日本人は、12才~16才くらいまでには親により元服という成人の儀式が執り行なわれ、以降、大人として生きることを命じられた。

 

元服は、それまでの子どもの髪型を改めて大人と同じように結い、氏神様の前に出て、冠を付け、一人前を祝うとした、日本古来の伝統的な神事である。元服を受ける本人も、より一層人としての自分を堅持しながら、世の中に奉仕する自分になると心に誓いを立て、責任を背負った。今の成人式にみる、怪獣のような容姿で暴れる二十歳の姿と比較するために元服という神聖な儀を持ち出すつもりは無いが、この違いを見ただけでも日本人の変質ぶりがよくわかる。氏神様は見放せるので楽だろうし、親も何も思わないだろうから善悪を言うつもりもないのだが、しかし、社会構造にその要因があるのだから、一概に今の二十歳に呆れることは出来ない。今の子どもたちや若者たちは、日本人としての本来の性能を封印されたまま、生涯を送らされるように仕組まれているのだから・・・。今日は、平成30年1月8日。八王子市では、貸衣装業者が計画的としか思えない手法による夜逃げを行い、多くの新成人の心を傷つけた。内容を見るに、民事のみの解決では事足りない、言わば近年稀に見る悪質な刑事事件として裁かれるべき事件であり、長らく人々の記憶にも残るだろうが、報道機関も、さすがに今年の成人式は、幼児のような二十歳の騒ぎより以上に姑息な経営を行う大人の話題に終始している。大人も子供ももうアカン、ってのが総括となるのか、真面目に成人式に臨んだ普通の成人が、気の毒で仕方ない。

然るに私は、

「昔はチンコに毛が生える前から元服して大人の生き方をしたのだから、今のうちにアホなことをやめて、真面目に、誠実に、社会人としての自覚を備えておきましょう」。

などといった、エセ聖人君主の出来損ないみたいなことを言うつもりはない。

 

「悪人が悪を棄てれば最強の人間になる!」

 

というのが私の考えだ。真面目=うつわが小さい。誠実=慎重すぎて冒険できない。社会人的な自覚=ありんこ。という方程式が、私が人生で習った「ヒトの性」である。真面目=良いよ。誠実=いいねいいね!。社会人的な自覚=そりゃああれば優等生だ。が、弱い心で真面目であったり、心がブレるのに誠実であったりしても頼り無い。信頼できない。下手をすれば信用も危ういものである。イザというとき、どうするか。何事も受け入れる器量を持っていながら優秀な人間なのか、どうか、不動の心を持っているか、がポイントなのであり、そのレベルで人間の出来栄えが決まるのだ。

 

大人としての覚悟とは何か・・・。それは、自分を滅して世の歯車になるための覚悟である。そのための考え方や、構造主義的な観点から観た今の社会、思想を観ずるに、閉ざされている日本の可能性を開花させるとした目的が浮かび上がるだろう。私とあなたの努力により、日本の再起が達成されたとき、私とあなたは勝ちなのだ。変なお人好しや勝手に作られた変な社会主体の道徳に惑わされず、自己確立をし、真の行いを貫く人生を歩みたい。

 

あまり気付いていないと思うが、世の中のほとんどの人間は、どっかがバカである。

30才を過ぎた頃、私は「謙虚」という事を教えてもらい、せっかく教えてもらったので実践しているが、その「謙虚」という姿勢は私の武器の一つである。なので、あまり悪態をつく気は無いが、知るべきことを知っている人間は、世の中の上に立つ事も、他人との競争に勝つことも、本質的な自由を手に入れることも可能なのである。

大人なのだから、勝つことを考えよう。