学歴を自分の保全にするな

 

私は、満足に高校も卒業していない。

私が18歳の頃は、高度成長期と呼ばれる時代で、社会は優秀な人材を積極的に求めていた。

企業が求める人材の質は学歴に比例すると考えられ、よって高校を卒業している事が社会人としての最低ラインであり、しかし高卒が普通とも言えた時代だった。よって、六大学くらいを卒業すれば大体の将来は保障されたし、六大学を卒業していなくても大卒ならば普通に大企業に就職することができた。

 

そのような時代にあって、私はどうしたか・・・。私は、学歴が関係ない、社長になることを選んだのだ。

 

政治家や社長になるために、学歴は必要ない。

なぜ高校を中退したのか、自分でもよく覚えていないのだが、入学した高校は最底辺の不良学校であり、不良でもないのに入学した奴は本物のアホだった。

 

中学生のころから勉強机さえ持っていなかった私は、もちろん(←威張るな)勉強などできないし、英語などはテレビでドリフターズから教わったThis is a penくらいしか話せなかった(←話してる事にならない)が、二十代半ば頃の私が3個目に作った会社は、海外から他の国に輸出して日本に輸入したり、日本から海外に輸出したりする、いわゆる貿易会社だった。自分の可能性を自分で決めない結果である。

 

他に、アパレル会社も経営していた。

ちょっとした会社くらいでは取引口座も持てないような大企業が運営する大型商業施設にブティックを20店舗以上展開したり、有名な街に路面店を出したりしたが、そこでアルバイトに来ていた大学生らと話すと、つくづく「日本は教育と社会が完全に分離している」ことを考えさせられた。T大生でも、K大生でも、社会、すなわち私が経営している会社に来たときには履修科目の意味がなくなり、代わりにリセットして新たに「仕事」を覚えなければならなくなる。その時、あえて言えば記憶力が良いに越したことはないが、それより重要なことは、対人的な知性や業務構造を早く客観視する能力、そして勇気と責任感だった(もちろん業種によるが)。

私は、卒業した高校は無名だし偏差値も低いが、自分から社員にして欲しいと言って働いてくれていた、一人の女性に、起業の素質と成功の匂いを感じていたが、私が認めた彼女の能力とは「やる気」だった。

 

学歴を資本として企業に就職した人でも、そうでない人でも、結果を出さなければならない時期すなわち中高年の時期に納得できる結果が欲しいなら、自分を装飾してくれた学歴やコネクションを頼るよりも、リセットし、どれだけ自分を磨けるか、どれだけその状況に馴染めるかに傾注すべきである。

いま社会では、労働時間を減らす流れや、雇用環境を従業員が査定したり、自分の意にそぐわない職場をブラックと言っても差し支えない雰囲気が蔓延しているが、これは日本固有のミラクルな力を封じようとする外圧と考えるべきものである。

 

汗は、一滴でも多くかく。

 

完全に納得できるまで手を離さない粘り気をもって、会社というより、そこに定着している自分自身の瞬間を、能力を、自分自身を試すがごとく、損得も妥協もなしに存分に絞りだす事に価値を覚えるべきなのだ。

繰り返すようだが、世の中には、そうそう優秀な人材はいない。よって、少しの知恵や努力、そして人的資産すなわち人脈があれば、大企業に就職しなくてもそこそこの満足を得られるはずである。

政治家を目指すことも良い。

社長になるのも良い。

勉強で行くなら、事務次官を狙え。

然るに、努力以上の成果を得るには自身の内面的な性能が必要なのだ。

そのようなこともひっくるめて、ここで繋がり、共に考えたい。