心の中から動物性を排除する

 

私の師匠である頭山立國の祖父、頭山満翁は、武力に頼んで後進の国を侵略し、奴隷、資源、女性、労働力を搾取する西洋人の文化を獣(けもの)の文化と称していた。
彼ら西洋人は、侵略した国々において、女性を犯すこと、人を殺すこと、強奪すること、子供を殺すことを競って行なっていたのである。

日本における西洋人(ヨーロッパ)の人買い(拉致)は、豊臣秀吉の時代のキリシタン宣教の頃から始まっていた。秀吉の祐筆頭だった大村由己が書いた公文書『九州動座記』には、「後戸(五島)・平戸・長崎にて、日本人を男女を問わず数百人ずつ黒舟が買いとり、手足に鉄の鎖をつけ舟底へ入れて運び去るは、地獄の責苦にもまさって、むごい有様である」と記されている。

徳川の時代が終わり明治期まで続くヨーロッパの帝国主義は、肌白い日本人の娘に対し秘部を丸出しにさせ鎖に繋いで弄んだ事や、便器代わりといって日本人男子に口を開けさせ小便を流し込んだ事、港に着くまで続く女子の泣き叫ぶ声などを日本人の心に強く焼き付けた。牛も食べない当時の日本人に、アメリカに売り渡された数千万人の黒人の話しや、殺戮された数百万人の原住民の話しが補足して耳に入れば、それこそ獣の仕業としか思えないに違いない。

太平洋戦争を最後まで闘いぬくと覚悟を決めた背景には、戦争で負けたら、妻子が犯され、日本人の血が絶やされると確信していたからである。

 

戦中、日本軍は、西洋列強が植民地化したアジア各国で目の当たりにしたアジア人女性の悲惨な姿を見かねて慰安所を設立した。誇り高き日本国の兵士が、間違っても、欧米の鬼畜と同じことを行なってはならないと。
それを受け慰安婦の募集が開始されたが、今問題となっている韓国の人に対しては、主に韓国人の斡旋業者が慰安婦募集に奔走した。
そうした中、慰安婦のスカウトにつけられた予算欲しさに、慰安婦を強制的に連れくることのないようにと、政府は、慰安婦の強制連行を行なわないよう指示し、公表した。戦時の混乱に負けて人の心を失わぬようにと。

 

私は、あの戦争を肯定する気も美化する気も無いが、大日本帝国軍の戦争の仕方は綺麗であった、とは思っている。

戦争に綺麗も汚いもないと思うだろうが、戦時のような極限の混乱期にこそ人間は人間らしさを守るべきなのだ。

 

人間は、動物の進化系といえども他の動物にはない知恵とテクノロジーを持っている。がしかし、その知恵とテクノロジーの使い方を欲に従い誤れば、無造作に環境を破壊し、他の生命を絶滅させ、最終的に自らの居場所まで失うことになる。これは、動物というより腫瘍と呼ぶべきか。がん細胞は、増殖することにより最後には宿主の命と共に消滅するが、人間もなんら変わりがない。

頭山満翁は、人間の中にある人間的な部分を鍛え、動物的な部分を滅せば、人は神になれると言っていた。
人間らしさとは、心の中にある動物的な部分を排除した姿を言うのだと。

翁の、

「人間は魂(しいだま)を鍛えることだけを考えておればよい。それ以外は何も要らん」
という言葉は、まさしく人間ISMの提言なのである。