親としての自覚と主義

 

少し前の日本では、男は男らしく、女は女らしく、日本人は日本人らしくとした考え方は古典的であり、一風、他人とは相容れない変わった人と扱われた。マイホーム、マイカー、最新の家電、子供の学歴、長生きが、親の役目だと思われていたからだ。

父親は父性を強めて父親らしく。母親は母性を強めて母親らしくとし、更に父性も母性も、親としての自覚と濃度を高めることにより「らしさ」が強調されるため、どこにでもいる同じ親でもその気概により、一定の存在としての意義と責任を理解し始める。これは、パターナリズムに向かう過程かもしれないが、最近になって、ようやく、良い親の典型すなわち親らしい親とは、寛容であり、子供と同じ価値観を共有しようとすることであり、そこに対する責任を無言で背負うことであるとした考え方が定着してきているような気がする。

「親」とは保護責任者であり、有権者であり、納税者であり、消費者であり、養育者であり、教育者でもあり、国民であり、子供であり、子孫であり、相続者、社会人、だれかの仲間、夫婦の片方、人的資本、社会的資本などといった属性をもっているが、あくまでも親は、自分の子どもにとって唯一の存在であり、子供の命の土台なのである。

「親」は、属性で考えれば普遍的な存在である。

よってその影響力は、子供のみならず、家庭、社会、国家、そして世界や人類にまで及ぶということだが、持つべき価値基準の序列を言えば、自分の子どもの親という意識が第一であり、他の事柄はその立場を核にした上で意義を考察しなければならないのである。

「親」は、これから始まる少子高齢化、格差社会、破綻する年金、見込みのない社会保障制度、デフレ、労働力のスリム化、巨大資本の流入による経済領域の縮小などなど、今まで通りに行かない世の中を、家族を背負いつつ自力で歩まなければならなくなる。よって「親」は、それぞれの立場を責任もって成立させるための知恵と情報を多く得て、自能的に優れた振舞いを行うように意識するべきであるのだが、これは、大変なことであり、どこかで学べることでもない。

ただし、親としての気概をもつことで、答えが統一するのである。

日本の親は、巨大である。

「親」という存在ひとつが「らしさ」をもって「主義」つまりイズムを掴めば、膨大なエネルギーが生み出されるということだ。そして、親の幸せも、そこにあるとは言えまいか。

この勉強会は、「今の親」に対して意外にも価値がある「日本(人)らしさ」というものの姿を能う限り見返り、寛大で柔軟な、意義のある親の道を探ろうとするものである。