本プロジェクトの主催者である私、小倉は、明治の巨頭と呼ばれ、三代目になったいまでも保守を堅持している頭山家にお仕えしていたがゆえ、右翼、あるいは普通に保守と思われているようだが、私も、師匠である頭山も、世のためなら日本が無くなってもいい、くらいの覚悟を持たなければ日本が存在する意味がない、と思いつつ、何が右で何が左だ、天皇陛下さえお守りすれば、あとはどうでも良い、とした思想で生きてきた。

中江兆民と頭山満の親交を例えるまでもなく、よって私は、日本という国が、正しく責務を全うするためならば、あるいは本当に日本国民のためになると思えるならば、右にでも左にでもすり寄っていきたいと思っている。

社会主義に関しても、これは私のみの持論であり、あまり他人には言わないが、ソ連の社会主義(共産主義)はロシア革命時の赤ロシアが作り上げた建前(農民らに対する階級意識の植付け)の上に出来上がったものであり、そこから様々な意見はあるのだが、とにかく、ソ連が終焉したからと言って社会主義を全否定するのは短絡であると思っている。

地球資源を削り取って運営される消費型の資本主義には未来が無く、今のツケは次世代へ、そこで生まれたツケは次々世代へと渡される。このことを知っていながら、なぜ、金融財政システムは今のまま生き続けようとするのか、消費と破壊はいつまで繰り返されるのか、そのことを想えば社会主義に少しくらいの視線を向けても恥ではないはずである。

取り急ぎ、私が選挙に出るわけではないので、このような思弁を必死に謳っても仕方がないし、私と同じ思想の人しか応援しない、などといった狭い料簡でこの活動を行うつもりもない。が、例えば、金正恩という、齢34の青年が、世界で最も狂暴な国アメリカと、アメリカのATMである日本、そもそも対立していたが巧みに合併を企んでいる相手、韓国、それに諸々の周辺国、いや、周辺にある世界的な大国を敵にして方便を言いまくっている姿には感心している。ということくらいは付け足しておこう。日本人も、方向性はともあれ、それくらいの気概を温めるべきではなかろうか。

雑な言い方をしたが、政治家を目指すくらいの人間ならば、これくらいの思想を包括する器を持つべきである。私は、唯心論者でありながら現実主義である。優しい言葉や甘い考えで、政は興せないと信じている。