なぜ心を強くしたいのか。
前項で述べたことがおおよその理由と考えられますが、その、強くしたい心について、「心とはそもそも何なのか?」とした疑問に対する明確な答えを持っていなければ、その方法や、目標、向かう先や状況があやふやになってしまいます。
悪人も善人も、心が強い人は強いし、弱い人は弱い。
しかし悪人になって成功するのも、善人として成功するのも、単純に自分の夢を叶えるのも、心が強くなければならない。よって、自分の人生に価値と責任をもって、「おもしろく」生きる秘策が、心なりけり、なんですね。
では、心とは一体、なんなのか。
どのようにして考えれば、自覚のもと、強いとか弱いとかの判断ができるのか。
判断が出来なければ、自分の心は強いのか弱いのかさえ分かりませんね。
しかし、そうなると、そもそも心とは何か、を知りつつ、「強い心とは何なのか?」という疑問も出てきます。
よって、「心とは何か」「強い心とは何か」「どのようにして心が鍛えられるのか」「心が強い人の特徴」などを知っておく必要がでてきます。
サムライが世の中の上位に位置していた江戸時代以前の階級社会では、世の中全体が「心を強くする」ことに価値を覚え、心の弱い人や汚い人を蔑みました。今は金持ちが偉いと思われ、貧乏な人は下にみられます。たとえ、金持ちよりも潔癖で、勇気があり、世のため人のためになろうとした意識が強く、困っている人を助けるような、あるいは自分に金がないのに、金がなくて困っている人に無い金を差し出すような、いわゆるサムライのような人(なかなかいませんが)がいたとしても、その人よりお金持ちが偉いと思われるのです。
そんな変な世の中なので、日本は、変態や変人、小者、頭でっかち、卑怯者であふれかえっているのですね。
心を強くしましょう。
それは本質的な「真」を追求するためです。
真を貫く人生には、金は無くとも華があります。
真の追求は、人として生まれた者の喜びに繋がります。そして、面白い人生がおくられます。
では、これより心に関する考察を始めましょう。
心と意識の問題
みなさんは、何が何だか分からないうちに世の中に生まれており、そして絶対に、それは例外なく、ある時期がくると亡くなります。
生きている間に何をするか、何があったか、どんな思いをしたか、幸せだったか不幸だったか、それは人それぞれですが、とにかくハッキリしているのは、人間は、生まれたからには必ず死ぬということです。私にも、みなさんにも、多くの先祖がおりますが、偉い人であろうと、むちゃくちゃだった人であろうと、死ななかった人はおりません。
ここで一つ、頭に入れておいてほしいことが出てきました。
人間は、生まれたら必ず死ぬ。ということは、人間は、生きている間にのみ意味があるということです。
生きている間とは、イコール時間ですので、命とは時間であると定義できますね。
命=時間
タバコを1本吸うと、寿命が1時間縮まるという話を聞いたことがありますが、この話しは、命=時間ということの好例でしょう。
時間を無駄にしている人は、命を無駄にしているのです。
(タバコを吸う人は、一時間の命よりもタバコを吸うことに価値を見出しているのと、タバコ自体が死の直接的原因にならないからやめないのでしょう。私の知人の会社社長は、禁煙した一週間後、脳梗塞で亡くなりました)
また、みなさんは朝、目を覚ましてから一日を過ごし、また眠りにつきますが、寝ている間というのは、夢をみたとしても、夢には連続性が無く、あるいは夢の中では自分で状況をコントロールすることができないものなので、夢に意味が無いとは言わないまでも、眠っている間は直接、私たちの意識や状況などに関わることが無いと考えられるので、私たちが主体を置くべき現実世界は、起きている間の時間すなわち意識がある一定の期間にあるとなるでしょう。
人間は、産まれてから少し成長して、自我が芽生え、他者との関わりが認識できるようになった頃から死ぬまでの間の、睡眠時間を除く、意識のある時間に、喜んだり苦しんだり、考えたり行動したりするものであるということ。
そして意識がある時間に悩み、苦しんでいたとしても、眠っている間や意識を失うような状態にあるときには、悩みもしないし苦しみもしない生物であると定義できます。
と、そうなると、意識が心なのか?とした疑問がでてきますね。
そして意識とは何なのかと・・・。
あるいは、意識は肉体の一部(脳ですね)なのか、それとも魂や霊魂といった、肉体とは別に存在するものなのか。
人の死というものは、肉体を自分の力で維持できなくなること、あるいは機能が停止した状態を指しますが、死後の世界を信じる人が多いのが体験や予感からくるとしても、なぜ、死後の世界の議論に決着がつかないのか。
死後の世界があるならば、肉体と意識は別々のものではないのか。
ひとは死んだら終わりか、そうでないか・・・。
少なからず「意識」が、心と密接な関係があるか、あるいは心そのものなのかということを考える必要がありそうですね。