素浪人という、大人の立場としては今の世に通用しない、あたかも江戸時代の、扶持を失った侍のような生き方をし始めてから20年以上経過した。
中学生の頃から地元では有名な不良を気取り、当時の高校進学率を思えばあり得ない様な理由で高校進学を拒否。
だがせめて高校だけは行ってくれとの母の気持ちと、好きだった担任教師や悪友の説得により、不良の吹き溜まりのような高校へ進学したが、理由も分からぬまますぐに退学させられてしまう。

少しは真面目になろうか・・・
仕事をしなければ・・・・
しかし、高度成長期の日本を支える骨子たりえる人材を大量生産していた頃である。

「高卒以上・要普通免許」

という、示し合わせたように同じ条件を提示してくる求人誌掲載の会社が私を必要とするはずがない。
高校中退ということがこれほどまでに人生を狭いものにするのかと思いつつも、他人事の様に日々ダラダラと暮らしていた。

 

 

とうとう見かねたのか、頼れるのは中退した高校の担任だと言う母は、私より多く通ったといつも愚痴っていた高校に出向き、先生に懇願したそうだ。
お陰さまで、ガソリンスタンドへ就職出来ることになった。

 

その後、ここで間違いを犯してはいけないと思いつつ必死で仕事に取り組んだせいか、上司に認められ、あるいは顧客に買われ、これも流れと言うものなのか、「高卒以上」が本来の条件だが、「そこは目をつぶるからウチの会社に来い」との、たくさんの声がかかり、その中から選んだ、小さな会社に転職した。

収入面だけみれば、とりあえず、その時点での高卒の平均レベルよりは上だった。がしかし、いつも金が足りなかった。

 

なので死ぬほど働いた。
何でもした。
金欲しさゆえの事である。
真面目に働く一方で、法を犯しつつ、汚れた金を儲けることもしばしあった。

 

10代の頃は、車をいじる事とギターを弾くことが好きだった。
引く手あまたの各ヤクザ団体に所属しなかったのは、不始末で指を落とした場合にギターを弾けなくなるからだ。

 

大きなコンサートにも出たし、一方で暴走族の集会にも出ていた。

やりたい事が多すぎる。
欲しいものが多すぎる。
だからいくら働いても金が足りない。
どうしよう・・・

「高校中退」と履歴書に書いてへつらうより、自分で会社を興した方が良いに決まっている。20歳の時、自分で一軒家を購入し、自立していた事も動機として相俟って、20代前半で経営者になった。

 

バブルはもう弾けていたが、それでもコンスタントに毎年数億の稼ぎをたたき上げていた。

 

英語も広東語も話せないのに、勢いで香港へ渡り、貿易のイロハも分からないまま日本へ送った様々な商品が、数多くヒットした。

 

その要領でイタリアへ行き、有名なアパレルブランドと契約したり、アウトレット商品を輸入したりもした。

 

この頃は多くの従業員を抱えていたし、彼らの背景には家族もあったので、それほどの無茶はしなかったが、不良っぽさは抜けておらず、盛り場に毎日足を運び、豪遊を繰り返す日々を送っていた。
自分が一日に幾らの金を使っているのかさえ分からなかった。
「世界でトップクラスの経済大国日本に、俺の若さで、俺より上はいないだろう・・・だから俺は将来天下をとる!」

高級なものの全てを手にし、札束の臭いが体にしみこむほど大金を持ち、ばら撒いていたのだが・・・

 

30歳を目前にした頃だっただろうか。
自分の考え方に明らかな変化が見え始めてきたのだ。

 

何かが違う・・・

 

俺は何のために生まれてきたのか・・・?
どん底のはずの人生が、なぜ思うままに成功し、あるいはやりたい放題ができているのか・・・?
いや、今の仕事は本当に望んでしているものなのか・・・?
自分には何か、使命、と言うよりは責務があるのではないのだろうか・・・?
この先、必ず訪れる“死”を迎えたとき、金で満足した自分を悔いないか・・・?
そもそも人間は、どこから来てどこへ行くのだろうか・・・?
死とは何なのか・・・?
世の中とは何なのか・・・

 

古くはアーユルヴェーダの哲学やギリシャの哲学から唯心論、孔子、インドの思想、神話、超常現象、脳科学、宇宙論、量子力学、カオス理論、科学哲学、形而上学、アインシュタイン、ホーキング、朱子学や陽明学、心理学・・・

 

経営者として感じていた、世に対する義憤がそうさせたのか、政治思想、国家主義や民族主義、全体主義、法治の矛盾、経済学、カント哲学から派生した社会主義、共産主義、アメリカの民主主義・・・枚挙に暇ないが、日に得られた知識に無駄は無く、それらの学問は、確実に、私の人格形成とそれから歩むべき道を照らす炎となっていた。

 

 

然るに一方、不思議なほど、仕事が上手くいかない。
それまでの、まるで超常現象の様に思い通り事が運んでいた私の経済活動が、まったく逆に、しかも底知れず落ち込み、とうとうその日に食べる事さえままならなくなったのだ。

 

同世代が抱いていた、はち切れんばかりの嫉妬心が矢となり、体中に突き刺さり、身動きが、できない。

 

それは取引先のみならず、仲間と思っていた人すべてが、溺れて弱っている私を仕留めるには今しかないとばかりに石を投げつけた。
重い石、刺さりそうな鋭い石、様々な苦を投げつけては新たな武器を仕込み、また投げるといった様だった。

家に置いた幼い我が子がいなければ、私の人生はここまでであっただろう・・・が、しかし、その頃だ。

天は、私に命の捨て場を用意しつつ、一人の、偉大な、それこそ一般人が近づく事など到底出来ないような、あるいは世が世ならばどんな紹介を受けようがその席の末端に座布団を敷くことさえあり得ないほどの、巨大な人物を、私の師としてめぐり会わせてくれたのだ。

頭山満より数えて直系三代目、頭山家本家の当主、最後のサムライと呼ぶに相応しいであろう巨人・頭山立國氏。

 

その頃の私は、重度の狂犬病に罹った野良犬の末期的症状と言って過言でない状態で、日々、ゴミをあさっては家で待つ子供たちにギリギリの粗食を運ぶといった様な有様だった。
その私に、“縁”という単純な理由で側につく事を許してくれ、咬まれることなど考えず、それこそ猛獣に手でエサをやる様な感覚で大切な温かい手を差し伸べてくださった。

 

「金があろうが無かろうが変わらない人間になりなさい」
「人を観ず、そのうしろに大きく構えている天の意思を感じなさい」
「家を大事にしない者に国は語れないよ」
「嫌なことにも良いことにも必ず意味がある。よく考えなさい」

とても、やさしかった・・・。

 

そして、それから20年以上経過した今、私は頭山立國会長付き(と言うか頭山本家の執事)として凛と生きている。

 

「君が実際に経験し、会得したことを世の中の人に知らしめるのも仕事だよ」

と、ならば、まずは3人の子を持つ親として、頭山精神か、あるいは日本精神というものの影響を受けた父(私)が、子供との関係をどう築き、進行中であるが結果、どうしているかということを実際の資料として、日本人の本来というものを宣布しなければならないと思いたった。

 

 私の経験を元にした物語を参考資料としますが、物語に出てくる人物と実際の人物は関係ありません。

※ 当たり前ですが、画像はイメージです。